今回は報告書などを書く際のタイトルや見出しで「~について」という言葉を使わないようにすると良いという話しをします
仕事をするようになると報告書を書く機会が多くなります。日報や月報のように定期的な報告もあれば、視察報告のように不定期な報告もあります。いずれにしても、上司から「報告書を書いて出しておいて」と指示されることは日常茶飯事です。しかしながら、学生時代に改まって報告書の書き方のような訓練をしていないことが多いため、社会人に成りたての頃はとかく苦労するものです。
今回はそんな報告書の書き方で苦労されている人に対するちょっとしたアドバイスをします。それは、報告書などを書く際のタイトルや見出しで「~について」という言葉を使わないようにするというものです。
ところで、今回テーマにしたい「タイトル(見出し)」とは?
今回は報告書を書く際の「タイトル(見出し)」のつけ方に関するアドバイスをします。ところで、具体的な説明に入る前に、前提として今回の説明の対象である「タイトル(見出し)」に関するイメージを共有することからスタートさせてください。
今回のブログでテーマにしたいのは、「タイトル(見出し)」の表現の仕方です。新聞記事を例にすると、次のようなイメージです。
今回のブログで言いたいことを先に要約すると…
今回私が伝えたいことはシンプルです。要約すると次のとおりです。
上記が今回の記事の要約です。以下では補足説明をしますが、時間がない人はここで読むのを止めても大丈夫です。
タイトル(見出し)で「~について」という言葉を使ってはいけない理由
報告書を書く際の一つのコツは、読み手がサッと理解できるように工夫することです。そのためには表現上の工夫もさることながら、そもそも書き手の頭の中で伝えるべきポイントが整理されていなければなりません。しかしながら、報告書というのは提出に向けてのんびりもしていられないので、書き手の頭の中が十分に整理されていない漠然とした状態で書き始めてしまうことも実際にはよくあることです。その漠然とした状態でも書き始めることができてしまう要注意な表現が「~について」という言葉です。
どんなに頭の中が整理されていなくても「~について」としておけば、それなりにタイトル(見出し)として成立してしまいます。例えば、先ほどの新聞記事の例でいうと、伝えたいポイントが整理されていない段階でも、とりあえず「内部通報制度について」のような「について」形式のタイトル(見出し)をつけて書き始めることは可能です。しかし、そのような安易なクセがつくと、そのうち伝えたいポイントがよく分からないような支離滅裂な内容でも平気で書いてしまう悪癖まで染みついてしまいます。だからこそ「について」という言葉をタイトル(見出し)の中で使用しないように厳に戒めなければならなのです。
具体的には次の点に注意することをお勧めします。
先ほどの新聞記事でいえば、もし原稿段階で「内部通報制度について」というタイトル(見出し)で書き始めていたのなら、いったん「について」という言葉を削除してみましょう。そうして「内部通報制度」というタイトル(見出し)を見た場合、そのタイトルからどんな内容を伝えようとしているのか読者にはさっぱり想像できないことが鮮明になります。そうやって検討を重ねていくうちに、内容の大筋が容易に想像できるようなタイトル(見出し)、例えば「内部通報制度『認知』4割」というタイトル(見出し)に修正した方が分かりやすいということに気がつくのです。
ところで、仕事で書く報告書の読者として想定されるのは上司やクライアントです。この人たちは多忙であることもあいまって、最後までじっくり読むだけの忍耐を持ち合わせていません。ちょっとでもつまらないと感じたり、最後まで読まないと理解できない報告書なんて、とても読んでくれないと認識しておくべきです。だからこそ、ゆめゆめ安易に「~について」という一般的なタイトルで書き始めることのないように注意したいものです。
ダメな例の紹介
ここまで、タイトルを「~について」としてはいけない理由を説明しました。説明としては以上で終わりですが、念のため先ほど掲載したダメな例を再掲しておきます。
ところで、もうお気づきと思いますが、本質的には「について」という言葉の有無は問題ではありません。そのタイトルから内容の大筋が分からないことが問題なのです。繰り返しになりますが、「について」という言葉の有無は議論の本質とは無関係です。タイトルを「株価の大暴落に備えた準備」としても「株価の大暴落に備えた準備について」としても、どちらでも問題はありません。大事なことは内容が一目で分かるようなタイトルになっているかどうかということです。ただし、長年の経験から私は次のような2つの印象を抱いています。
①タイトルに「について」という言葉を付している人の思考は粗雑な傾向があること
②「について」という言葉を除いて考えると思考が厳密になる傾向があること
だから、まずは無条件で「について」という言葉を削除することをお勧めします。こうやってタイトル(見出し)を見直すだけで報告書の分かりやすさは格段に向上します。
今回のまとめ
①報告書の中のタイトルや見出しで「●●について」のように、“について”とするクセがつくと、どんなに思考が曖昧でも何となく書けてしまう。
➡「ついて」という言葉を付けないように厳に戒めるべき!
➡「ついて」という言葉があれば無条件に削除する。
②見ただけで内容の大筋が分かるようにタイトル(見出し)を工夫すること
おすすめ図書
本書については、すでに第8回目記事(実態を問う質問(定義から始める))でも推薦図書として紹介しています。その際、本書はあまりにも内容の濃い名著であり、片手間で紹介するような本ではない。だから、あらためて別の機会にじっくりと取り上げたい旨を書きました。そういう意味ではまだそのお約束を果たしていない現時点で、またしても一部だけ紹介するのは大変気が引けるのですが、今回のテーマに関して多大な影響を受けている記述があります。とても長い引用になりますが紹介させてください。
第二十四章 標題のつけ方
(出典)「論文のレトリック」澤田昭夫(注)ハットさんが一部太字にした。
論文の標題は、論文が扱っている中心課題が何であるかをもっとも簡潔明瞭に表現していなければなりません。標題は論文の標札です。
論文が扱っている中心課題は、その論文の主問、主な問いかけですから、問の疑問文をそのまま標題にできればそれにこしたことはありません。「蕙如は誰か」と問い、論じた論文なら「蓮如は誰か」を標題にしたらよい。ただの「蓮如」でもよいでしょう。蓮如のアイデンティティーを論じているらしいことが想像できるからです。しかし「蓮如について」ではいけません。漠然とし過ぎているからです。扱っているのが蓮如のアイデンティティーの解明なのか、彼の政治思想の分析なのか、 晩年の宗教的著作の解釈なのか、よくわかりません。
もちろん、標題が必ず疑問文の形をとらねばならないというわけではありません。(中略)「核時代の国際平和はいかにして、より現実的に、有効に維持できるか」。これが問であれば標題は「核時代の国際平和政策」でよろしいでしょう。大切なのは自分が何を問うているかをはっきりさせておくことです。
標題は必ずしも疑問文形でなくてもよいが、疑問文でしかも簡潔なものがあれば、 初めに申したようにそれにこしたことはありません。(中略)
もっとも適切な標題は、論文の目鼻、顔形(かおかたち)がついてきてから、あとでつけるほうがよいかも知れません。もちろん論文書きに際しては、自分の主な問が何であるか、顔形ができ上ってくる前から、まず解っていなければなりません。まず問が解っていなければ、どういう顔を描いたらよいか解るはずがない。あとでもよいというのは、その間をどういう形で表現したらもっとも効果的な標題になるかという、表現上の決定のことです。(中略)
標題の問題はしたがって単なる標題の問題ではなく、中心課題の問題であります。中心課題を明確に表現するのが標題であり、中心課題というのは「この論文の主要な問は何か」という問の問題です。ですから標題の問題は、第一章で申し上げた、論文書きの出発点、根本的な、問いかけの問題に再びたち帰ってくるわけです。
上記引用だけ読んでも若干ピンとこないかもしれませんが、澤田氏が一貫して主張しているのは下記の点です。
◆論文には必ず明確な問いがあること
◆論文にはその問いに対する明確な答えがあること
そして標題(タイトル)をつける際にも、「自分の問いを表現したタイトルにせよ」と言っています。言い方を変えると、自分の問いが明確でない人は「内部通報制度について」のようなたるんだタイトルを付してしまう。そういう人は問いから考え直せと言っているのです。澤田氏が言うように、「タイトルの問題はしたがって単なるタイトルの問題ではなく、問いは何かという問いの問題」なのです。どんな報告書を書くときにも肝に銘じておきたい考え方です。
いずれにしても、本書は、問いを考えるということはどういうことなのかをしつこく教えてくれます。思考することに関心がある人が読めば多くの示唆をもらえる本としてお勧めします。
本の帯にある「東大・京大で1番読まれた本」のフレーズとともに、春になると書店に大量に並べられているので、すでにお読みの方も多いかもしれません。本書そのものはエッセイみたいな本で、思考を深めるために外山氏が実践していることを広範にわたって教えてくれます。そんな中で今回の記事と関連して参考になるのが下記記述です。長くなりますが紹介させてください。
テーマと題名
(出典)「思考の整理学」外山滋比古(注)ハットさんが一部太字にした。
論文や研究発表の題に、こまかい規定のついたものがある。たとえば、「ヘミングウェイの文体の特徴、とくに、初期作品における形容詞の使用についての一考察」といったものである。
これは「ヘミングウェイの文体」として、あとは実際の中身を見て判断してもらう、というやり方もある。それに比べて、さきのようにこまかい但し書きがついていると、その論文が、何をのべようとしたものかの見当がついて便利ではある。同時に、あまり手のうちを見せてしまうと、かえって興味をそそられることがすくなくなるというマイナスもないではない。かえって、ただ「ヘミングウェイの文体」としておいた方が、ふくみがあっておもしろいかもしれない。
あまりこまかく規定するとうるさい感じになるから、実際としては、おおざっぱな題名のつけ方が好まれる。(中略)
「ヘミングウェイの文体の特徴、とくに、初期作品における形容詞の使用についての一考察」といった題名がついていれば、この題名がどういう意味であるか、理解に苦しむということはまずない。ところが、「ヘミングウェイの形容詞」といった題名がついている論文だと、形容詞がどうしたのか、よくわからない。この表題だけから内容を想像すると、見当外れになることがないとは言えない。
それだけに、本文を読んで見ようか、読まなくてはいけない、という気持をおこさせる。さきの長い題だと、それだけでもうわかったというので、読もうという気にならないかもしれない。(中略)
題名ひとつで、文章が生きたり、死んだりする。それほど重要なものである。テーマを明示したり、あるいは象徴したりするからである。
アメリカで出た論文作成の指導書に、
「テーマはシングル・センテンス(一文)で表現されるものでなくてはならない」 という注意があった。おもしろいと思ったから記憶にのこっている。(中略)一文で言いあらわせたら、その中の名詞をとって、表題とすることは何でもないはずである。思考の整理の究極は、表題ということになる。
要すれば、外山氏は次のようことを言っています。
「(タイトルを)『ヘミングウェイの文体』として、あとは実際の中身を見て判断してもらう、というやり方もある。(その方が)ふくみがあっておもしろいかもしれないし、本文を読んで見ようか、読まなくてはいけない、という気持をおこさせる。」と。
しかしながら、外山氏の言うことを真に受けて仕事の報告書でも『ヘミングウェイの文体』のような内容が想像できないぼんやりとしたタイトルにしたら上司に叱られますし、クライアント向け報告書なら読んでくれないか、読んでくれたとしても低い評価しか得られません。そういう意味で大いに反面教師とすべきです。一方で、「テーマはシングル・センテンス(一文)で表現されるものでなくてはならない」という指摘は仕事の報告書でも心がけるべき重要なポイントです。
それはともかくとして、本書は、先に紹介した澤田昭夫氏の「論文のレトリック」のようなとにかく理屈っぽい本とは異なり、思いつくままに書いたと思われるような軽いタッチの内容が集められており気楽に読めます。敢えて言えば、文末に「である」という表現が多い点に権威主義的な上から目線の印象を受け、人によっては若干の嫌悪感を抱きます。しかし、それさえ気にならなければとても楽しめる本としてお勧めします。
「については」という言葉はタイトルからすべて削除すること!