実態を問う質問(定義から始める)#8

質問力・コメント力

今回のテーマは「①それは何か?(定義)」です

 今日は「実態を問う質問(どんな状況下で何が起きているのか)」の「①それは何か?(定義)」に関して説明していきます(今回の記事は、前回記事「どんな場面でも通用する質問(問い)の構造 #7」の続きです)。

前回記事のおさらい

 まずは前回の説明を簡単におさらいしておきましょう。
質問(問い)には次の4つの形態がありました。

①実態を問う質問
②解釈(意味や構造)を問う質問
③原因や理由を問う質問
④対策に関連した事項を問う質問

 そして、これを構造図として表したのが次の図です。

構造図の2枚目はここでは省略

 今日は「実態を問う質問(どんな状況下で何が起きているのか)」の「①それは何か?(定義)」に関して説明します。

そもそもなぜ定義の確認から始めるのか?

 これから「実態を問う質問(どんな状況下で何が起きているのか)」に関して掘り下げていくのですが、何が起きているかを確認するには、まずは「それは何か?」という定義の確認から始めなければなりません。そのことを実感してもらうために、簡単な例で説明しましょう。例えば、会社の同僚から朝一番で次のように言われたとしましょう。

 「このところ晴れの日が続いていますね?」

 仮に心の中で『あれっ、「このところ続いた」っていうけど晴れの日は2日間しかなかったし、その2日間も「晴れ」というほど天気が良くなかったけど…』などと思っても、こんなことで質問をするのも大人げないし面倒くさい奴だと思われても嫌なので、適当に「そうですね、毎日気持ちがいいです」などのように通常は当たり障りのない返事をするはずです。時候の挨拶のようなとりとめもない話題の場合にはそれで全く問題ないし、むしろこんなことで相手も厳密な議論を望んでいないでしょうから、細かい言葉の定義などを気にも留める必要はありません。
 しかし、これが仕事に関する重要なテーマだったら聞き流しておくわけにはいきません。議論のスタート段階で次のことを明確にして、お互いの認識を合わせておくことが重要になります。

◆「このところ」とは何日程度の期間を想定しているか?(「このところ」の定義は?)
◆「晴れ」という言葉をどういう意味で使っているか?(「晴れ」の定義は?)

 上記2点に関してはっきりしないうちは「このところ晴れの日が続いていますね?」と同意を求められてもイエスともノーとも厳密には答えようがないし、議論を次の段階に進めることもできないのです。「それは何か?」という定義を議論のスタート段階で確認しお互いの認識を合わせておかないと、議論が永遠にかみ合わない可能性すらあります。だから、定義の確認から始めて、お互いの認識にズレがあるのか一致しているのか、認識にズレがあるとしたらそれはどの部分でそれはなぜなのか、といったことを丁寧に確認する必要があるのです。このような作業のことを私は監査法人勤務時代に「認識を合わせる」とか「目線を合わせる」と表現していました。表現はともあれ、議論の無用なすれ違いを避けるためには、定義の確認から始めることが必須です。この点に関して、科学哲学が専門の伊勢田哲治氏はご自身の著作で次のように書いています。

(中略)定義の不明確な言葉や多義的な言葉を避ける、どうしても使う場合にはきちんと定義して行う、といった姿勢は、重要なポイントである。(中略)情報を発信する側の心得として重要である。
 受信する側にとっては、定義をはっきりさせるというのは、相手と双方向に討論している場合には相手がどういう意味で言葉を使っているか確認する、という作業になるし、すでに書かれた文章を読む場合には、きちんと言葉の意味を確認しながら読む、という習慣を身につけることを意味する。(中略)
 意思疎通というものが可能になり、有意義な対話や討論が行われるためには、そもそも言葉の意味についてある程度の共通了解がなくてはならない。「当然この言葉はみんなこういう意味で使っているはずだ」という思い込みは危険である。そうした思い込みによる行き違いを未然に防いだり、解決したりするために定義は重要な役割を果たす。(以下省略)

(出典)「哲学思考トレーニング」(伊勢田哲治)より

まずは2つの心構えから

 ここまで、実態を問う質問は「それは何か?」という定義の確認から始めなければならないことを説明してきました。しかし、定義を確認する際に具体的にどのように問いかければいいのかのイメージがわかないかもしれません。そこでこれから具体的な方法を紹介するのですが、その前に心構えの観点で2つだけお伝えしたいことがあります。

心構え(その1)言葉に敏感になる
心構え(その2)議論の場の雰囲気を恐れない

 心構えの1つ目の「言葉に敏感になる」というのは、先ほど紹介した伊勢田氏の本にもあるとおり、「当然この言葉はみんなこういう意味で使っているはずだ」という思い込みを排除するために必須なことです。大雑把な認識で言葉を粗雑にしていると、いつまでたっても言葉に敏感にはなりません。ちょっとした言葉も「まぁいいや」と思わず、「これってどういう意味?」と確認する手間を惜しまないことです。しかし言うは易しで、実際にこれをするには勇気がいります。例えば、公開討論の場でそんなことをしたら、「そんなことも知らないの?」と思われ、場合によっては「馬鹿なやつだ」と言われるかもしれません。この点に関して東大教授だった丸山真男氏は次のように言っています。

定義を下すとは同時に自己限定をすることです。私はこういう意味でコトバを使っているので、別の意味で用いればまた違った帰結が出てくることを認めますよ、という留保です。そうした限定と留保なしに銘々まるごとの「情念」をぶつけあっている不毛な論争がなんと五月蠅(さばえ)なしていることでしょう。それが結構まかり通れるのは、一見逆説的ですが、日本社会が基本のところでツーツーカーカーの同質社会で、他者感覚がそれだけ希薄だからです。

(出典)「古典からどう学ぶか-ある読書会の開講のことば-」(丸山真男)『図書』より

 丸山氏は「日本社会が基本のところでツーツーカーカーの同質社会で、他者感覚がそれだけ希薄だから」といいますが、むしろ他者への配慮が強すぎて「定義ぐらいでこんなにも時間と手間をかけては参加者全員に申し訳ない」などと慮る気持ちが働いて躊躇してしまうことも現実にはあるでしょう。たとえ言葉に敏感であっても、確認(質問)するには勇気がいるのです。

定義を確認するための具体的な方法(3つ)

 定義を確認するための具体的な方法論を議論するためには、そもそも「定義」とは何か、例えば「描写的な定義(写真を見せながら「これが日本のカレーです」と定義するなど)」や「辞書的な定義」など様々な定義の形態があるからこそ「定義」の定義からスタートすべきではないのかとのご指摘があることは十分承知していますが、今回の記事ではその点の認識合わせは省略させてください。なお、ここでは、定義には様々な形態があるものの、定義によってそれが何であるのかが明確になることが重要だという点のみ頭に入れておいてもらえればOKです。

「何であるか」という問は、「その外見は」、「その構造は」、「その重要さは」、「その意義は」、「その本質は」、「その機能は」、「その原因は」、「その結果は」と多様な形をとり得ます。そういう問に答えることによって「それが何であるか」が解ります。

(出典)「論文のレトリック わかりやすいまとめ方」(澤田昭夫)より

 それでは、定義を確認するときに私が実践している具体的な3つの方法を紹介します。

Aを定義するには、AとそっくりなAでないもの(非A)を具体的にたくさん挙げてみる。
次に、Aと非Aの具体例を比較して、両者を区別する基準が何かを考える。
Aを定義するとき、どんな状態がどれくらいの時間続いていたらAといえるのかを具体的に考える。

 上記の①と②については、教育学者の宇佐美寛氏がご自身の著書の中で下記のようにわかりやすく説明しています。

「定義」するとは、“define”であって、語源的に、範囲が終わる限界を設けるという意味である。Aの概念を明らかにするのは、Aでもないもの(非A)とAを区別し得る基準を示すことである。「生活」を言いたい論者には、「生活」ではないものは何かを問おう。「経験」を言うなら、「経験」でないものは何なのか。同様に、「問題」と「非問題」、「自発性」と「非自発性」、「切実」と「非自発性」等の区別の基準をも明らかにすべきである。

(出典)「教育のための記号論的発想」(宇佐美寛)より

◆「○」は何ではないのか。こう問おう。ある概念の内容が明確になるためには、それでないものとの区別が明確でなければならない。
◆例えば、「多数決」についていうならば、「多数決でない決め方とはどんなものか。それと多数決とはどこが違うのか。」と問うことである。つまり、あるものを知っているとは、それではない他のものとの差異がわかり、判別することが出来るということなのである。

(出典)「「経験」と「思考」を読み解く」(宇佐美寛)より。引用にあたってハットさんの判断で若干見やすいように加工している。

 しつこいようですが、澤田氏の「論文のレトリック わかりやすいまとめ方」と木下是雄氏の名著「理科系の作文技術」からも似たような内容のフレーズをご紹介します。

「Aは何か」、それに応えるためには「Bは何か」、「CはDか」というような問にも答えなければなりません。

(出典)「論文のレトリック わかりやすいまとめ方」(澤田昭夫)より

それが「どんなものか」を記述するときには、まずそれに似たものを探せ。次に、似たものとそれとはどこが違うかを考えよ。

(出典)「理科系の作文技術」(木下是雄)より

 少し脱線気味になりますが、ついでに、Aと非Aを区別する基準に関して、面白いエピソードも紹介しておきましょう。

数学者T・J・ウィルモアの夫人は、夫に同伴して数学者のパーティーに出席した時に、数学がまったくわからないにもかかわらず、彼らの議論に参加する「秘術」を身につけていた。まるでちんぷんかんぷんな数学の議論を傍らで聞き、話が一区切りつくと、「そうすると、境界の上では一体どうなっているのでしょう」と合いの手を入れるのである。これが不思議なことに、たいていの数学の議論に対して、誠に適切な質問になっているのだった。

(出典)「愉快な数学者たち」(矢野健太郎)より

 上記引用を読んでいただければ、具体的方法の①と②についてはイメージがわいたと思います。

 ③の「Aを定義するとき、どんな状態が続いていたらAといえるのかを具体的に考える」については、簡単な例で説明させてください。先ほど例として挙げた「このところ晴れの日が続いていますね?」というケースで考えてみましょう。

 気象庁の定義によれば、「晴れ」とは「全雲量が2以上8以下の状態」をいいますが、今回のケースの場合、その定義だけでは「このところ晴れの日が続いている」かどうかの真偽は判断できないかもしれません。例えば、雲量が瞬間的に8を超えてから直ちに8以下に戻る可能性もありますが、その場合は、「晴れ=全雲量が2以上8以下の状態」が具体的にどのくらいの連続時間で続いていたら「晴れ」というのかの共通認識が明確でなければ判断できません。そのため、雲量が一瞬だけ8を超えた状態については「晴れ」ではないと判断することも、「晴れ」と判断することも、どちらもありえます。そうなると人によっては「このところ確かにほとんど晴れが続いていますが、晴れが途切れた瞬間が●回ありました」と厳密に表現すべきでは?と言い返したくなることもあるでしょう。
 だから、定義というのは、ある瞬間の定点の状態を表現しただけでは十分ではなく、具体的にどんな状況下でどういう状態が続いていることを指すのかまで明確にしておくことも重要なのです。具体的でありありとした状況を想定していない定義では実務で困ることも多いと言いたいのです。これが③を考える意味です。

 以上、定義を確認するために私が実践している3つの方法を紹介しました。どの方法もとても有効なのでぜひご活用ください。

 いずれにしても覚えておいていただきたいのは、「実態を問う質問(どんな状況下で何が起きているのか)」をする上では、言葉に敏感になり、「それは何か?」という定義から確認していくことがとても重要だということです。

脱線しますが…

 このコーナーではちょっと脱線させてください。
(私が専門とする会計監査の領域の話なので、監査に関心のない方は読み飛ばしても全く問題ありません)

 会計監査の分野では監査手続の1つとして「分析的実証手続」という概念があります。これと表現がそっくりさんの「実証的分析手続」という概念もあります。見た目はそっくりなのですが、意味合いは全く違います。会計監査を専門で勉強したことがない方には、そもそも前提となる用語の理解に馴染みがないためピンとこないかもしれませんが、すごく簡単に言うと、「実証手続」とは、監査の対象となる数値が正しいかどうかを直接的に検証する監査手続を指します。一方、「分析手続」は、数値に異常がないかどうかを分析する手続であって、直接的に数値そのものが正しいかどうかまでを検証するものではありません。この理解を前提に、前者の「分析的実証手続」の意味を考えてみると、「分析手続にそっくりさんだが(でも分析手続ではない)実証手続」なので結局は「実証手続」であり検証した数値そのものが正しいかどうかを確かめています。一方、後者の「実証的分析手続」は「実証手続にそっくりさんだが(でも実証手続ではない)分析手続」なので結局は「分析手続」であり検証した数値の異常性は確認しても、数値の正しさまでは直接的に確かめていません。つまり、「分析的実証手続」と「実証的分析手続」とでは意味するところが全く異なるし、どちらの監査手続を適用するかによって監査結果の評価も変わってくるのです。だから厳格に区別して使い分ける必要があります。この点に関してほとんどの会計士はきっちりと使い分けていますが、ごくまれに使い分けがあいまいな人がいます。
 こんな言葉の使い方ひとつでもダメな会計士さんを見分ける基準になるという一例でした。

今回のまとめ

①議論のスタート段階で「それは何か?」という定義を確認し、お互いの認識を合わせておこう。
②見慣れない言葉だけでなく、ありふれた言葉であっても、想定している意味は人それぞれで違うかもしれない。
③Aを定義するには、そっくりな非Aとを区別する基準が何かを問うてみよう。

メモ

【非Aと同様の考え方として「WHY NOT?」という考え方も知っておくと役に立つ】
 今回の記事でご紹介した「Aを考えるには非A(Aでないもの)について考える」というのは、いわば「WHAT NOT?」という思考形式です。これと同様の発想として「WHY NOT?」という考え方があります。「WHY NOT?」については第59回目の記事(「WHY NOT?」も考える)で説明していますのでご関心があればご参照ください。

 なお、「WHAT NOT?」にせよ「WHY NOT?」にせよ、否定表現で考えるということは根本的には「そこに無いものを見る(見えないものに気がつく)」ということなのですが、この点については第43回目の記事(プロは「(あって当然なのに)そこに無いものは何か?」に注目する)で説明しています。こちらもあわせてお読み頂くと理解が深まりますのでぜひどうぞ。

おすすめ図書

①「教育のための記号論的発想」(宇佐美寛)
②「「経験」と「思考」を読み解く」(宇佐美寛)

宇佐美氏の本は、今回紹介した2冊以外のどの本にも言えることですが、あまりにもその主張の論理的厳格さの高さゆえに、人によっては拒絶反応があるかもしれません。それでも、論理的に思考したい人や論戦を学びたい人に意見を主張することの厳格さを教えてくれる最高の教科書です。私は自分の思考がいい加減になりそうなとき、宇佐美氏の著作群を読んで初心に帰るようにしています。今回紹介した2冊以外の本も折に触れて紹介していく予定です。

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「哲学思考トレーニング」(伊勢田哲治)

今回の記事では説明を省略しましたが、「定義」の形態についても色々と説明してくれていますので、今回の記事を契機に「定義」に関する考えを深めていきたい方はぜひ本書をお読みください。また、筋道を立てて考えるということはどういうことなのかを丁寧に教えてくれる良書でもあります。

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「バカロレアの哲学 「思考の型」で自ら考え、書く」(坂本尚志)

フランスの大学入学資格試験のバカロレア試験の哲学小論文(=ディセルタシオン)に対してどのように勉強していくかを「思考の型」を使って丁寧に説明した本です。この「思考の型」が問い(質問)の作り方という点でとても参考になります。

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「「自分の意見」ってどうつくるの? 哲学講師が教える超ロジカル思考術」(平山美希)

本書は、上記で紹介した坂本氏の「バカロレアの哲学 「思考の型」で自ら考え、書く」と目指している方向は大変よく似ています(もちろん内容的には異なる部分も多々ありますが)。両書物は好みの問題で評価が分かれることはあっても、どちらの本が良いとか悪いとかいうことはありません。読みやすい本なのでまずはこちらから読み、その次に坂本氏の本に進んでみるのも良いかもしれません。

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「論文のレトリック わかりやすいまとめ方」(澤田昭夫)

西洋史の大先生によるあまりにも有名なロングセラーであり、内容も今回の記事テーマである「定義」に関してだけではなく、ものの考え方やノートのとり方など広範にわたって教えてくれる名著です。このようなついでの形で紹介するのは大いに気が引けることもあり、あらためて別の機会にじっくりと内容をお話ししたいと思っています。

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ハットさん
ハットさん

日ごろから言葉の意味や使い分けに敏感になることが大切です。

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