今回は、経営戦略の要諦が「絞り」と「集中」にあるという話しをします。
本ブログは学生さんや社会人になりたての若い方を対象として想定し、仕事術全般にわたって私が身につけたことを記事にしています。そのような背景のもとで今回の「経営戦略の要諦が『絞り』と『集中』にある」というタイトルを見ると、今回の記事は一般的な仕事術と毛色の異なる内容かもしれないと懸念される方もいるかもしれません。「経営戦略」とかいう大袈裟な言い方を耳にすると、「今まで会社経営に関与した経験もないし、正直あまり関心もない」などのような感想を抱くかもしれませんが、今回の記事はそれほど大仰な内容ではありません。「経営戦略」という言葉を大上段に捉えずに「(どんな分野でも)ゴール達成のために必要な作戦」くらいの意味で考えると、その作戦で重要なことは、やるべきことを絞って力を集中することですよ、と言っているだけです。
ただ、この当たり前のことが会社経営という観点で議論されたとたん、どうやら忘れられてしまうのか、それとも複雑に考えすぎてしまうからなのか、結果として十分実行されていないことが多いと感じています。経営の観点でも個人のゴール達成と同じく優先順位の見極めが重要との意識を大事にして欲しく今回の記事を書きました。
今回の記事は「戦略プロフェッショナル」(三枝匡)という本がベースになっています。
内容に入る前にまず最初に申し上げておきますが、今回の記事で紹介する考え方は「戦略プロフェッショナル」(三枝匡)という本がベースになっています。私は本書から経営戦略における「絞り」と「集中」の具体的な考え方について多くを学びました。特にセグメンテーションの考え方は秀逸で、会計士として仕事をする上でも大いに参考になりました。私は職業柄、会社経営関連の書籍をよく読みますが、その中でも三枝氏の本は断トツでお勧めです。
今回の記事ではそのエッセンスすらご紹介できませんが、三枝氏の一連の著作についてはこの記事の最後に「おすすめ図書」として紹介しておきます。ご関心のある方はぜひご参照ください。
なお蛇足になりますが、一橋大学教授の楠木建氏は、三枝氏を始めとする優れた経営者が書いた著作物について下記のように記しています。
多くの人々が優れた経営者に「戦略論」の知見を求めるのは自然な成り行きです。優れた「アーティスト」が経験の中で練り上げた知見はとても有用です。(中略)複数の企業再生に成功したのちにミスミの経営者となった三枝匡さんの一連の著作はその代表例です。(中略)
(出典)「ストーリーとしての競争戦略」楠木建(注)ハットさんが一部太字にした。
こうした優れた経営者による戦略論は迫力があり、(中略)この種の迫力には学者の戦略論が遠く及ばないものです。(中略)
自分でやったこともなければ、成果も示すことができない私が、実務家に向かってこの種の主張を文字どおり口にしたとすれば、黙殺されるか、 冷笑されるか、殴られるかのいずれかでしょう。
高名な楠木教授ですら「黙殺されるか、 冷笑されるか、殴られるか」なのですから、私ごときが何かを語るのもおこがましいのですが、私が三枝氏の「戦略プロフェッショナル」を読んで以来、経営だけでなくあるゆる分野で応用しているセグメンテーションの考え方を以下でご紹介します。
「経営戦略の要諦は『絞り』と『集中』にある」とはどういうことか?
まず「経営戦略」の定義についての認識合わせ
これから「経営戦略の要諦は『絞り』と『集中』にある」ことを説明するのですが、その前に、そもそも「経営戦略」とは何かということについて認識合わせをさせてください。
先ほど「経営戦略」という言葉を大上段に捉えずに「(どんな分野でも)ゴール達成のために必要な作戦」くらいの意味で考えてと申し上げました。確かに「経営戦略」は大雑把に言えば作戦・方針ではあるのですが、具体的にどういう作戦・方針かと言えば、「持てる資源をどのように配分するか」と考えると色々なことが理解しやすくなります。したがって、以下では「経営戦略」を「資源配分」という意味合いで用います。
なおご参考ですが、この考え方は経営コンサルタントの後正武氏の次の主張に基づいています。
●戦略
(出典)「経営参謀の発想法」後正武(注)ハットさんが一部太字にした。
いささか唐突に思われるかもしれないが、「戦略」とは「資源の配分」であると定義することができる。大本営の立場で(つまり、ラインの指揮官としての指揮権を持たないで)、限りある自軍の能力を最大限に活用するために可能な手段(自由度)は、第一義的には、行動の目的を明示した上で「自軍の資源を配分・配置すること」につきる。そしてひとたび配置が決まれば、それらの運用は現場指揮官(ライン・マネジメント)に委ねるほかはない。
「絞り」とは「捨てること」でもある
「経営戦略」を資源の配分と考えると、カギになるのがどこに集中して資源を配分すべきかということです。つまり「絞り」と「集中」がポイントになります。この点に関して「戦略プロフェッショナル」(三枝匡)では次のように説明されています。
「絞り」とは、すなわち「捨てる」ことである。我々の経営資源には限りがあるから、何もかもやることはできない。だから「これはやめた」と割り切ることが必要になる。そのデシジョンを先延ばしにするトップは、いずれやりきれなくなることにムダな投資を続けていることになる。その意味では、企業戦略はもともと「絞り」「捨てる」ための道具そのものだとも言える。
(出典)「戦略プロフェッショナル」三枝匡(注)ハットさんが一部太字にした。
ここまでを要約したのが下記の図です。
問題はどうやって絞り込むか?
ここまでの説明を読んだ人の中には、わざわざ「経営戦略の要諦は『絞り』と『集中』にある」などと仰々しく言われなくても、「ふーん、そんなこと学生の頃からやっているよ」とお思いの方もいるかもしれません。確かにそのとおりです。ただ、いざやるとなると結構悩ましい問題があります。どうやって集中すべき領域を絞り出すかが一筋縄ではいかないのです。
身近な例でイメージしてみましょう。例えば、学生の頃の試験勉強を思い出してください。もし試験直前に一夜漬けで勉強するとしたら、勉強すべき項目を絞り込んで集中的にそこに注力する(いわゆる「ヤマを張る」)しかないのですが、そもそも簡単にヤマが張れるのなら苦労はしません。膨大な試験範囲の中から重点的に注力すべき項目を把握するためには、何らかの基準(軸・切り口)で絞り込んでいくしかないのですが、その基準(軸・切り口)をどうするのかが難しいのです。
とにかく、絞り込みにはセンスや創造性も問われるし、それだけではなく経験や度胸もものを言います。一筋縄ではいかないのです。
上記は思い付きで適当に作った例なので単にイメージとして受け止めて欲しいのですが、経営戦略を考える際にも同様に何らかの基準(軸・切り口)で市場を絞り込んでいく(これを「市場をセグメントする」という)ことになると、これは七転八倒するような大変な作業です。
この点に関連して「戦略プロフェッショナル」(三枝匡)の中でも下記のような記述があり、その一端が垣間見えます。
◆「どんな基準で(市場を)分けるんですか?」(中略)
(出典)「戦略プロフェッショナル」三枝匡(注)ハットさんが一部太字にした。
「それがわかっていたら、誰も苦労しないぜ。その答えが見つかった時が、セグメンテーション戦略の出来上がりさ。」
◆企業戦略の中で、セグメンテーションほど創造性を求められるものは他にはない(中略)。
しかし、市場をただ分割すればよいというものではない。
セグメントする基準(セグメンテーション要素)は、戦略目的に「完璧に」合致していないといけない。そうでないセグメンテーションは使いものにならないか、またはそれを本当に実行に移せば、貴重な時間や経営資源を浪費するという実害を生む。
◆それから数日間、広川たち3人はセグメンテーションの作業に没頭した。
白板や紙の上にやたらたくさんのマトリックスを書いたので、皆の頭も四角形になりそうだった。
◆セグメンテーション作業が企画スタッフの仕事だと思ったら、トップは責任を投げていることになる。なぜなら、セグメンテーション作業は、重要な戦略決定のプロセスそのものだからである。
セグメンテーションの作業(切り口を探す作業)というのは、実務ではみんなでブレーン・ストーミングをしながら知恵を絞ってひねり出していくことが多いのですが、本当に「生みの苦しみ」です。この苦しみについては、14回目の記事(分析における「全体の把握と絞り込み」)でも書きました。ここで再度コンサルタントの高田貴久氏の言葉を紹介しておきます。
「感度の良い切り口」で問題を絞り込むことが重要だと理解できたと思うが、では「感度の良い切り口」を探すにはどうすればいいのだろう。肝に銘じてほしいのは、「切り口探しに王道はない」ということだ。「感度の良い切り口」を見つける単純な公式などない。トライ&エラーを繰り返しながら発見していくしかないのだ。
(出典)「問題解決」(高田貴久+岩澤智之)(注)ハットさんが一部太字にした。
ともかく「経営戦略の要諦は『絞り』と『集中』にある」ことを常に忘れないように意識しておくことが大事です。
今回のまとめ
◆経営戦略の要諦は「絞り」と「集中」にあることを常に意識すること
◆問題はどうやって絞り込むか。
◆結局のところ徹底的に考え抜くしかない。
おすすめ図書
①「決定版 戦略プロフェッショナル 戦略独創経営を拓く」(三枝匡)
②「経営パワーの危機―会社再建の企業変革ドラマ」(三枝匡)
③「決定版 V字回復の経営 2年で会社を変えられますか?」(三枝匡)
④「ザ・会社改造: 340人からグローバル1万人企業へ 実話をもとにした企業変革ドラマ」(三枝匡)
著者の三枝氏は20代の頃からボストン・コンサルティング・グループのコンサルタントとして活躍し、その後数社の会社で社長として再生などを経験後、最終的にミスミで経営者になられた人です。今回の記事本文は上記①を基礎にした考え方を紹介しましたが、三枝氏の上記4部作については、経営に関心のあるすべてのビジネスマンに読んで欲しい本です。
上記4部作のすべてとも単なる経営の解説書ではありません。ストーリー仕立てとなっており、リアルなケースで臨場感たっぷりに経営を体感できます。ストーリー仕立てにした意図について三枝氏は次のように語っています。
このケースは、米国のビジネス・スクールの教材となっているケースとか、学者の書いた経営戦略書のケースとはかなり趣を異にしている。
私は常々、これまでのケースには強い不満を持っていた。どれも、(中略)経営者個人の苦悩が浮かび上がってこないか、もしくは教材として必要最低限のことしか書いていないため無味乾燥か、どちらかの場合がほとんどだ。二○台が中心のビジネス・スクールの学生にはそれでも新鮮かもしれないが、経験豊かなビジネスマンが読むには全く物足りない。
しかも、日本人のために書かれた面白い企業戦略ケースが少ないのも不満だった。単行本やマスコミに載る企業モノの読み物は、後付けで経営者を褒めそやすものが多く、途中のリスクを理論的に解析したものは少ない。そんなことが動機で、このケースが書かれたのである。
(出典)「戦略プロフェッショナル」三枝匡
なぜこのように手の込んだ手法をとったかと言えば、第一に「客先の社名や機密を明かしてはならない」というコンサルタントの職業倫理を、この書き方であれば守れると判断した、第二に複数企業の経験をミックスすることで企業変革のテキストとして汎用性が高まると考えたからである。本書を読めば、世の経営改革プロジェクトでしばしば出現する困難な現象がかなり網羅的に出てくるはずである。
本書は実際に起きたことが集められているという意味においてはノンフィクションであり、当事者の方々には話の部分部分で思い当たるふしがあるだろう。しかしストーリー全体を見れば、すべてが当てはまる単一企業や人物は実在しないという書き方になっている。
その意味ではフィクションと言われても仕方がない。しかし私にとっては、どれも生々しい実体験の再現であり、作り話だと言われると悔しい気持ちになる。
(出典)「V字回復の経営」三枝匡
今回は4部作をまとめて推薦するにとどめ、それぞれ個別の内容紹介までは致しませんが、いずれ機会があれば個別にご紹介したいと考えています。経営の疑似体験ができる本として上記4部作をお勧めいたします。
「絞り」と「集中」って結局のところメリハリをつけるということ。これは26回目の記事(社会を生き抜く「段取り力」)で書いたことと内容的には同じです。ただ企業経営のこととなると、市場や製品などに関する理解不足から実行できなかったりするですよね。