「空雨傘紙」の4つの要素で徹底的に考える #50

全般

今回は「空雨傘紙」というフレームワークについてお話しをします。

 コンサルタントの間の議論や会話でよく使われる「空雨傘」というフレームワークがあります。今回はその「空雨傘」に「紙」も加えて「空雨傘紙」という話しをします。

「空雨傘紙」の説明

「空雨傘」とは?

 まずは「空雨傘」の説明から始めましょう。「空雨傘」とは、事実(事象)・判断(意見)・対策(結論)の3つを明確に区別して考えることが重要ですよということを、「空」「雨」「傘」という3つの言葉で例えて考えるフレームワークです。
 具体的には、「空は雲に覆われている」というのは事実(事象)を指し、「雨が降りそうだ」というのは判断(意見)を指し、「傘を持っていくべきだ」というのは対策(結論)を指す、のように考えます。こうして「空=事実(事象)」、「雨=判断(意見)」、「傘=対策(結論)」という共通認識を持つと、「空」「雨」「傘」という一語で議論が可能になります。
 例えば、部下が上司に「これからお話しするのは「空」の話しです」と言ったり、上司が部下に「今の報告って「空」の話し?それとも「雨」の話し?」のような会話が可能になります。

「空雨傘」という3要素に「紙」を加えて考える

「空雨傘」という3つの要素に「紙」という要素を追加して考えるのが今回紹介する「空雨傘紙」フレームワークです。ここで言う「紙」とは、「傘を忘れないために紙に書いて貼っておこう」のように具体的なプランを指します。
 要約すると、「空雨傘紙」とは、事実認識から行動までの一連の流れを次のように4つの要素で考えるフレームワークです。

「空雨傘紙」フレームワークを活用するときに重要なこと

 「空雨傘紙」のフレームワークを活用する際に注意して欲しいのは次の2点です。

①「空」と「傘」の区別は容易ではない。常に文脈や状況を踏まえて考えること。
(文脈や状況によっては「空」の話しをしているつもりでも実は「傘」の話しをしていたなんてことは頻繁にある)
②単に評論家で終わらずに確実な行動までつなげること(「紙」のことまで考え抜く)

それぞれの項目について以下で簡単に説明します。

「空」と「傘」の区別は容易ではない。常に文脈や状況を踏まえて考えること。

 事実(事象)と意見を明確に区別して考えることの重要性は、思考術・文章術を説いた多くのビジネス書で強調されているところであり、また思い起こせば、小学生の頃から国語の授業などで「事実と意見を区別しましょう」などと教わってきた人も多いでしょう。だからこの主張そのものに対しての反発はないかもしれません。しかしながら、いざ実際に「空」(事実・事象)と「雨」(意見)を区別しようとするとそう簡単ではなく苦労します。逆説的に言えば、簡単に区別なんかできないからこそ「空」と「雨」に分けて意識的に議論しようとするのですが、意識していても容易ではありません。事実の顔をしていながら実は意見が込められているなんてことは日常茶飯事だし、知らず知らずに両者の区別があいまいになっているからです。
 簡単な例で説明しましょう。例えば、部下が上司のA課長に対して、次のように言ったとします。
 「B課長と飲み行くとB課長が必ずおごってくれます(事実)。それに対して、A課長と飲みに行くと必ず割り勘ですね(事実)。」
 たとえ部下が「事実を言っただけで他意はありません」と補足したとしても、このように言われたA課長は『俺にもおごれという意味か?』と感じるはずです。
 これくらい分かりやすい事例なら苦労はしないのですが、実際には一見すると事実のように思えることも実は意見でしたということが多くあり、さらに意図的に仕組まれていたりするケースもあります。
 例えば、新聞の見出しをイメージして欲しいのですが、「4割の国民が反対」とするか「6割の国民が賛成」との見出しをつけるかにとって、同じ事実を報じても印象は大きく変わってきます。同じ事実でも表現を変えることによって巧妙な印象操作が行われることがあるのです。

 だからこそ、ニーチェの次の言葉も頷けるところです。

現象に立ちどまって「あるのはただ事実のみ」と主張する実証主義に反対して、私は言うであろう、否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみと。

(出典)「ニーチェ全集 権力への意志」(フリードリッヒ・ニーチェ)(注)ハットさんが一部太字にした。

 また、教育学者の宇佐美寛氏も次のように書いています。

とにかく、「事実と意見は区別可能である。」とか「事実は確かめられるが、意見は考えただけの臆断だ。」とかは誤りである。これらの誤りを排するためにも「事実と意見の区別」などという日本語の初歩的常識にさえ反する命名・分類は廃棄しよう。(以下略)

(出典)「国語教育は言語技術教育である。宇佐美寛・問題意識集2」(宇佐美寛)

 宇佐美氏は一貫して「事実と意見の区別はナンセンス」という主張をされており、その根拠として文脈・状況を考慮に入れていない事実認識なんて意味がないと言っています。まさにそのとおりです。このことを考慮に入れずに、うわべだけを見て「空」(事実・事象)と「雨」(意見)を区別しようとしても意味を正しく理解することはできません。この点は常に注意しておく必要があります。

単に評論家で終わらずに確実な行動までつなげること(「紙」のことまで考え抜く)

 私は会計士としてクライアントに提言するときにいつも気をつけていたことがあります。それは、評論家のように理想論だけ提言して終わり、あとはそちらで実行に向けてご検討ください、ではなく、自分も当事者と同じ意識になり、どうやってやり遂げるのかを真剣に突き詰めそのうえで提言するということです。
 例えば、天気予報で「夕方から雨になるかもしれない」ということであれば、「折り畳み傘を持っていくべき」というのが極めて真っ当で安全な「判断」です。面白みには欠けますが、外部の専門家としては安全策を優先したくなります。
 しかしながら、当事者だったらその程度の「判断」で満足するでしょうか。折り畳み傘がいくら小さいとはいえ今日は荷物が多いからこれ以上荷物は増やしたくないとか、傘は持っていかないことにしよう、雨が降ったときには安物の傘を買えばいいやとか、濡れたとしても夏なので我慢できるくらいの時間で乾くだろうとか、大雨だったら致命的なのでむしろ折り畳み傘ではなく大きな傘をたとえ荷物になっても持っていこうとか、色々なケースを考えます。最悪のリスクを想定し、最後は覚悟をもって「決断」をします。ここで注目して欲しいのが、第三者は「判断」だけいいのですが、当事者は「決断」までしなければならないという点です。
 この点についてプロ野球監督だった野村克也氏は次のように書いています。

参謀やコーチには(中略)正しい「判断」をすることが求められるが、その判断をもとに、実際にどんな作戦や行動に出るのかを「決断」するのは、監督である。

(出典)「人生で最も大切な101のこと」(野村克也) 

 判断と決断は似ているようで違う。判断は「頭でする」ものであり、決断は「ハートでする」もの ー  端的に言えばそうなる。
 判断とは、何らかの基準に基づいてなされる。(中略)
 対して、決断はある意味、賭けである。判断したことが必ずしも正しいとは限らないし、正しかったとしても成功するとは限らないからだ。
 だから、頭では「このサインが最善だ」とわかってはいても、リスクが大きい場合は、それを回避したくなる。つい無難な選択をしたくなるものなのである。(中略)
(中略)いつでも安全策を選択すればいいというものではない。ときにはリスク覚悟で「決断」することがキャッチャーには必要だし、仮に「判断」が正しかったとしても、それを実行に移す「決断」ができなければ、それは間違った判断を下すことに等しいのである。
 弱気を捨てるには覚悟を決めるしかない。どんな結果が出ようと、責任を自分が被るという覚悟。そうやって腹をくくれば、人間は思った以上に大胆になれる。覚悟に勝る決断は無いのである。(以下略)

(出典)「野村の遺言」(野村克也)

 野村監督が「参謀やコーチに判断は出来ても、決断は監督にしかできない」というようなことを書いていますが、確かに「決断」は当事者にしかできません。しかし、言い方を変えれば、当事者なのに「決断」をしないということは許されないのです。当事者は「決断」から逃げるわけにいきません。「空雨傘紙」の流れの中で覚悟を持って「傘」をもっていくかどうかを「決断」しなければいけないのです。ここが評論家と当事者の大きな違いです。

 評論家で終わらないために気をつけなければいけないことがもう1つあります。ある経営者がインタビューで次のような主旨のことを言っていました。

次の4つのどのレベルを目指すかによって結果が大きく変わる
①分かること(➡ 頭で分っていても出来ないのなら意味がない)
②出来ること(➡ やろうと思えば出来てもやらないなら意味がない)
③実行すること(➡ 実行しても徹底してやり続けないなら意味がない)
④徹底してやり続けること(➡ ここまでやる人は少ない)

(出典)明確な記憶がなく出典を明示できません。

 評論家で終わらないためには、「空雨傘紙」の流れの中で「紙」のことまで考え抜かなければなりません。それはすなわち、徹底してやり続けるために具体的にどうするのかということまで考えることです。口だけで言う人は多いですが、そこで終わらずに、行動で成果を出す人でありたいものです。

メモ

【実行力の重要性】
 評論家で終わらないということは、すなわち実行するということですが、この点に関しては、第34回目の記事(リーダーに必要な4つのE(GE 元CEO ジャック・ウェルチの持論))の中でリーダーに必要な「実行力(Execute)」の説明をしています。こちらの記事もお読みください。
 私にはこのExecuteという考え方というか価値観が根強くあり、「口ばかりで行動力がない奴。まるで評論家だね」と揶揄されることのないように常に気をつけています。

 以上が「空雨傘紙」というフレームワークを活用する際の注意点でした。

 なお、「空雨傘紙」というフレームワークは、基本的にOODAループと同じ考え方だと認識しています。OODAループの方は「ループ」という名称にもあるとおり高速回転で循環させるところに重点を置いているような印象があり、一方で「空雨傘紙」は4つの要素それぞれを明確に意識させるところに力点を置いているような印象の違いはありますが、どの側面を強調するかの違いであり、その本質は同じです。

 ご参考ですが、OODAループについては第3回目の記事(できる人が徹底しているOODAループとは?)第28回目の記事(有事では初動対応で勝負が決まる)において詳細な説明をしています。ぜひそちらもご確認ください。

コーヒーブレイク

【「事実と意見の区別はナンセンス」という考え方】
 記事本文で紹介したニーチェの「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」という考え方や、宇佐美氏の「事実と意見の区別はナンセンス」という主張がどのような根拠に基づくものなのかを知っておくことはとても大事です。しかしながら、この点を詳細に説明すると記事が長くなりすぎてしまいます。したがって、今回の記事ではこれ以上は触れません。いずれまた別の機会に紹介したいと思います。
 ただ、ご関心のある方でそれまで待てないという人は、宇佐美氏の次の本など読むといいでしょう。
「国語教育は言語技術教育である。宇佐美寛・問題意識集2」
 ◆第7章 『事実(事象)と意見』という迷信
 ◆第8章 『事実と意見の区別』は迷信である

https://amzn.to/3HdUFjD

 以上ご参考でした

今回のまとめ

◆「空雨傘紙」フレームワークを活用して事実認識から行動までを考えるとよい。
◆「空雨傘紙」のフレームワークを活用する際に注意すべき2つのポイント。
①「空」と「傘」の区別は容易ではない。常に文脈や状況を踏まえて考えること。
(文脈や状況によっては「空」の話しをしているつもりでも実は「傘」の話しをしていたなんてことは頻繁にある)
②単に評論家で終わらずに確実な行動までつなげること(「紙」のことまで考え抜くこと)

おすすめ図書

「戦略思考コンプリートブック」(河瀬誠)

 今回の記事で紹介した「空雨傘紙」というフレームワークですが、通常は「空雨傘」という3つの要素で語られることが多く、最後の「紙」まで含めている考え方は見たことがありません。読者の皆様も試しにネット検索して欲しいのですが、「空雨傘」は大量にヒットします。ところが「空雨傘紙」となると見つからない可能性が高いです。私はこの「空雨傘紙」という「紙」を加えたバージョンは上記河瀬氏の本で知りました。「空雨傘紙」が河瀬氏のオリジナルかどうかまでは分からないのですが、いずれにしても「紙」を含めて考えるという発想は素晴らしいです。
 今回の記事本文で説明した内容以上にもっと詳しく知りたいという方は、ぜひ本書をお読みください。本書では「空雨傘紙」について相当に詳しい説明がされています。
 さらに私が本書を読んで面白いと感じたのが「空雨傘紙」について書かれたコラムです。そのコラムは「戦略欠乏症」というタイトルが付されており、「空雨傘紙」のそれぞれのいずれも必要と指摘されているのですが、面白いのは下記の図です。

(出典)「戦略思考コンプリートブック」(河瀬誠)

 それぞれの要素の一つにだけしか対応できないとこんな残念な人になってしまう、そうならないように自分を振り返ってみましょうとの指摘は身につまされます。
 なお、本書には「空雨傘紙」以外にもたくさんの考え方やフレームワークが紹介されています。内容的には本ブログで紹介するような仕事術に役立つ内容になっており、コンサルタントが使うような考え方やフレームワークを総花的に学ぶことができる便利な一冊です。

https://amzn.to/3vD5DfT
ハットさん
ハットさん

「空雨傘」の3要素で考えるだけの人はたくさんいますが、「紙」まで加えた「空雨傘紙」の4要素で徹底的に考え、そして実行する人は少ないです。

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