有事では初動対応で勝負が決まる #28

危機管理

今回は有事における初動対応の重要性と心構えについてお話しします

 今回の記事では、有事における初動対応の重要性と心構えについてお話しします。仕事をしていると、全く予想もしていなかったタイミングで有事に巻き込まれることがあります。日常生活で有事と言えば、事件・事故・災害などを思い浮かべるかもしれません。仕事での有事と言えばそれだけではありません。社内における不正事案などのスキャンダルの発生、機密情報の漏洩、訴訟事案の発生、大口取引先の倒産に伴う事業継続の懸念など様々です。また各自が置かれている立場の違いによって有事の程度は変わりますが、いずれにしても、いつなんどき有事に遭遇するかは分かりません。大事なことは、平時の段階から有事に備えて準備を怠らないようにしておくことです。有事に備えた準備には色々なことがありますが、今回の記事では有事で特に重要な初動対応に向けた準備・心構えに関してお話しします。

初動対応と言えば事が起きた直後の対応だけを想定しがちだが…

 初動対応というと、どうしても事が起きた直後の対応を想定してしまいがちです。例えば、初動対応の重要性を語る際に取り上げられることの多い次の言葉で考えてみましょう。

 ◆火事の消火は最初の5分間が勝負

 この言葉は、火災発生直後の消火活動を初動と認識して、その迅速性や適切性を問題にしています。これはこれでいいのですが、私が注意喚起をしたいのは、初動の起点を事が起きた時点として考えるだけでなく、事が起きる前の時点から考えておくことも大切ではないのかということです。言い換えると、初動の起点という観点も念頭に置いておくことが大事だと考えています。

 ここで、初動の起点という観点と初動対応の関係を理解してもらうために、火災の場合を例に説明しましょう。

 例えば、火事の場合の初動の起点を火災発生時点だとします。そうすると、そのときの初動で問題となるのは火災発生直後に的確かつ迅速な対応ができるかどうかということになります。しかし、初動の起点をもっと前の段階と認識すると、初動に関する考え方も変わってきます。火事の例でいうと、初動の起点を火の使用前と認識すると、初動対応として必要なのは消火器をあらかじめ用意しておくことだったかもしれないし、燃えやすいものを周囲に置いておかないことかもしれません。また、初動の起点を火の使い始め時点と認識すると、てんぷらなどの調理時には温度設定に注意しておくこととか、一時たりとも目を離さないことだったかもしれません。

 とかく初動対応というと、事が起きた直後の判断・決断・実行面ばかりが強調されますが、起点という観点も念頭に置いておくことが有益です。

 この初動の起点ということに関連して、もう一つ強調しておきたいことがあります。初動対応についてはOODAループを活用して考えることが有効だということです(OODAループについては第3回目の記事(できる人が徹底しているOODAループとは?)を参照のこと)。

 有事では初動対応が遅れて状況が後手後手に回るのは命取りにつながり、絶対に避けなければならないことです。この初動対応遅れにならないために、どの段階でどんなことに注意すべきかをOODAループに基づいて考えておくことが有益です。例えば、初動ミスがあった場合にOODAループに基づいて考えるとは次のようなイメージです。

 詳細は次項以降で順に説明しますが、いったんここまでのポイントをまとめると次の2つになります。
①初動対応について考える場合には、初動の起点という観点も意識しておくこと
②初動対応についてはOODAループを活用して考えることが有効なこと

 それではそれぞれについて次項以降で順に説明します。

初動の起点という観点を意識すること

 初動の起点を意識するにしても、具体的にどのタイミングを起点とすべきなのかはケースバイケースですが、このことを考えるうえで参考になる文章があります。少し長くなりますが、まずは紹介させてください。

安岡正篤師の「予防」の心得とは
(中略)
 私の危機管理の教科書となった一冊に、中国の古い史書『漢書』の「霍光伝(かっこうでん)」がある。
その一節、(中略)
 ひとりの旅人が、宿屋の主人に「煙突が曲がって火の粉が飛んでいますよ。危ないですから、いまのうちに積んである薪を移しておいたほうがいいんじゃないですか」と通りかかったときに助言をした。ところが宿の主人は、「余計なお世話だ。忙しいんだから、あっちへ行け」と助言を無視してしまう。 すると案の定、火の粉が薪に燃え移り、宿が火事になってしまった。
 そこへ通りかかった別の旅人が、火に頭を焦がし、額を爛(ただ)れさせながら、必死に消火活動を手伝ってくれる。宿の主人は感激し、豚を料理し、酒を煮て、その旅人を上客として遇した。
 すると、集まってきた近所の人の中のひとりが、こう言う。
「本当の上客は、先に薪を移しておけと言ってくれた人ではないのか」
 その言葉に、宿屋の主人は大いに恥じ入った。これがセーフティ・マネイジメントであ る。

 実はこの教え、二五年ほど前に警察庁の警備課長だったとき、 安岡正篤(やすおかまさひろ)先生の勉強会で授けられたものだ。「警備課長はこの心得でおやりなさい」と言われて、それこそ目から鱗(うろこ)が落ちた。

 騒動が始まってしまった後でドンパチやって鎮圧するのは次善の策で、一番よいのは、事前に手を打って「予防」することなのだ。以来、私はこの教えを拳々服膺(けんけんふくよう)している。(中略)
 この「予防」、ともすると、言わずもがなと片付けられそうなことだが、いろいろな企業で、案外これが徹底されていない。(以下省略)

(出典)「人の上に立つ人の仕事の実例「危機管理」術」(佐々淳行)(注)ハットさんが一部太字にした。

 佐々氏が言う「騒動が始まってしまった後でドンパチやって鎮圧するのは次善の策で、一番よいのは、事前に手を打って「予防」することなのだ」というのはそのとおりですが、これはまさに「予防」の議論であって「初動」の起点の議論ではないと考える人もいるでしょう。初動の起点をここまで広げて考えるのはいかがなものかという反論があることを承知しています。それでも初動の議論は、起点という観点で予防段階までさかのぼって議論しておくことが有効だと考えています。大事なのは、自ら有事を招くことのないよう、あらかじめリスクを最小化するように手を打っておくことなのです。

 このことを佐々氏は『「何もなかった」のと、「何もないようにした」のとではちがう』と表現しています。次に紹介する文章がそうなのですが、実際の有事対応を経験した人にとっては共感するところが多い内容となっています。私は実際の危機への対処を考える際にはいつも読み返す文章で、初動対応について考えるうえでも大いに参考になるはずです。少し長い引用になりますが、ぜひここでご紹介させてください。

価値ある無駄骨折り
 多くのひとは、(中略)心血を注いでリスク計算をし、最悪に備えて悲観的に準備して事に臨み、無事に任務を達成したとき、「なんだ、結局は取り越し苦労だったではないか」と懐疑的になる。その結果だけをみて、「無駄骨折りをさせられた」と愚痴をこぼす部下もいるだろう。
 たしかに平穏無事にことが終わったとき、〈最悪に備えよ〉の精神で、あらゆるリスク計算を織り込んだ諸計画は日の目をみることもなく、そういう蔭の努力があったことさえ誰にも知られないまま、屑籠ゆきとなる。
 そして、そのために危機管理の責任者たちが人知れず支払った代償、すなわち、返上した土曜と日曜、眠らなかった、あるいは眠れなかった夜夜、果たせなかった子供たちとの約束、心労のあまり白くなり薄くなった頭髪、など誰にも評価もされず、感謝もされないまま、忘れ去られてゆく。
 しかし、危機管理のための発想としては、それを「無駄骨折り」だとか、「取り越し苦労」だとか思ってはいけない。
 「何もなかった」のと、「何もないようにした」のとではちがうのである。多くのひとはこの区別がわからない。しかし、実際にその任務に就いたものは、自分が必要な措置を講じて未然に防止した部分があることを知っており、それをひそかな誇りとしている。
 それに、不幸にして〈最悪〉の事態が起こり、しかもそれに対処する〈リスク計算〉がなかった場合の混乱と悲劇とを考えれば、その無駄骨折りは「価値ある無駄骨折り」というべきだろう。
 また、〈悲観的に準備すること〉と、〈悲観的であること〉とは全くスタンスのちがう考え方であることも銘記しておくべきだろう。
 計画の実施にあたっては、〈悲観的準備〉と〈リスク計算〉が終わったら、それから先は、「人事を尽くして天命を待つ」の心境で、陽性に、楽天的に行動することが成功の秘訣である。人生の成功者は、どちらかというと本質的には、「明日になれば必ず朝が来る」と信じて疑わないタイプの陽性な人物が多いのではないだろうか。

(出典)「危機管理のノウハウPART 1」(佐々淳行)

 上記文章の内容は、今回の記事のテーマである初動対応とは直接関係がないように感じる人もいるかもしれません。しかし、佐々氏が書いているような「不幸にして〈最悪〉の事態が起こり、しかもそれに対処する〈リスク計算〉がなかった場合の混乱と悲劇」の中で、どんなに迅速な初動対応をしたところで状況をリカバリーするのは相当困難になります。第26回目の記事(社会を生き抜く「段取り力」)の中で紹介した言葉「段取り八分仕事二分」と同じように、「予防八分初動二分」くらいの感覚で有事に備えた方が生き延びる確率が高くなるというのが私の実感です。したがって、初動について検討する場合には、初動単体で議論せずに起点という観点で予防段階までさかのぼって議論しておくことが有効と考えます。

初動対応についてはOODAループを活用して考えること

衝動対応ではちょっとした迷いと遅れが命取り

 初動対応で失敗したケースというのは、たいてい初動遅れになっていることが多いです。そのため、初動対応の最重要ポイントとして言われることは、初動ではグズグズと判断を迷っていてはいけないということです。例えば、大地震や大水害を経験した首長有志で結成された「災害時にトップがなすべきこと協働策定会議」が公表した「災害時にトップがなすべきこと」24か条の中では次のように書かれています。

判断の遅れは命取りになる。特に、初動の遅れは決定的である。何よりもまず、トップとして判断を早くすること。
 人の常として、事態を甘く見たいという心理が働き、判断が遅れがちになる。(以下省略)

(出典)被災地からおくるメッセージ 災害時にトップがなすべきこと

 また、元警察庁長官の佐藤氏は新聞のコラムで次のように書いています。

成功・失敗の紙一重の差を作る要因の一つは逡巡(しゅんじゅん)だ。突発対処を常務とする警察では特にそうだ。事件・事故・災害の発生時は初動が勝負を分けるから、立ち上がりの逡巡は厳しく戒められる。逡巡は漠然とした不安や結果に対する恐れから生まれる。これを払拭するには日頃の研鑽(けんさん)と自己鍛錬によって自信と勇気を培うほかないが、それを貫徹させるものは責任の一字だ。(以下省略)

(出典)「あすへの話題 楽難」元警察庁長官・弁護士 佐藤英彦(日経新聞夕刊2012年7月11日)

 上記2つの文章にもあるとおり、初動での遅れは命取りになります。だから逡巡は絶対に避けなければなりません。おろおろするだけに時間を費やすようなことがあってはいけないのです。しかし、佐藤氏も書いているように「逡巡は漠然とした不安や結果に対する恐れから生まれる」ものであり、有事に直面して「漠然とした不安や結果に対する恐れ」を感じない人はまれでしょう。それゆえ有事でおろおろして逡巡してしまうのも無理ないところなのですが、それはなんとして避けなければなりません。ではどうすればいいのかというと、佐藤氏は「これを払拭するには日頃の研鑽(けんさん)と自己鍛錬によって自信と勇気を培うほかないが、それを貫徹させるものは責任の一字だ」と言っています。その心構えに一切の異論はないのですが、ここでは別の発想として、OODAループを活用して考えることをお勧めしたいのです。

初動対応でのOODAループの活用

 OODAループとは、ものごとを実行するときのプロセスをObserve → Orient → Decide → Act の4つに整理して、これをループとして回転させていくという考え方です。第3回目の記事(できる人が徹底しているOODAループとは?)でも掲載したOODAループの概要図を紹介すると次のとおりです。

 初動対応を迅速かつ適切に行うためには、OODAループを高速回転させることが重要です。①観察(Observe)段階ではちょっとした予兆を見逃してはいけません。②判断・作戦立案(Orient)段階では、いくら判断材料が少なすぎるといっても的確な判断が求められます。④決断(Decide)段階では迷うことなく覚悟をもって決めなければなりません。④実行(Act)段階で徹底的にやり切るしかありません。この4つの段階を高速で回転させることができるかどうかが勝負を分けることになります。

 ところで、初動対応で失敗しているケースというのは次のようなミスをしていると考えられます。

 初動対応を迅速かつ適切に行うためにはOODAループを高速回転させることが大事ですが、もしOODAループがうまく回っていないと感じたら、上記例のように、①観察(Observe)段階で注意深く観察していないことが問題なのか、②判断・作戦立案(Orient)段階で判断の精度が低いのか、 ④決断(Decide)段階で迷って決められないことが問題なのか、④実行(Act)段階で中途半端なやり方が問題なのか、などのように段階を分けて検討してみることです。

最悪に備え落ちる場所をあらかじめ決めておき、最悪の場合には思い切って飛び降りる

 初動対応では正確性よりもスピードを重視すべきです。少々のミスがあってもとにかくOODAループを高速で回転させることを優先し、それを何度も何度も繰り返すうちに間違いを修正していけばいいのです。孫子の兵法でいうところの「兵は拙速を聞く」の精神で事に臨むことが肝要です。しかし実際の場面では、「どうしようどうしよう」と迷っているうちに時間がどんどん経過してしまい、結果として状況が後手に回ることはよくあることです。迷いがスピードの妨げになるのです。
 そうならないためのヒントを与えてくれるのが次の文章です。まずは読んでみてください。

さて、植木職人からこんな話を聞いたことがある。
 植木職人は高所で仕事をすることが多い。
 プロだからまさか木から落ちることはないだろうと思う。
 しかし、植木職人は常に最悪のことを考え、高所に登ったら、落ちるときにはどこに落ちたらより安全かを必ず決めてから登るというのである。
 素人が植木の手入れをした場合には、松の木などに登り、落ちたときどこに落ちるかを考えていないから、落ちると運悪く庭石の上に落下したりして、死亡することがよくある。
 まさか、自分だけは安全だと思っているところに問題があるのだろう。 臨機応変とは、とっさの出来事に遭遇してから、初めて考えて、対応するということではない。窮地を予測しておき、窮地に臨んでは、予測しておいた対応を持って変化すること、これが臨機応変の本質だといえるのである。

(出典)危機管理学入門(宇田川信一)

 上記の文章には次の3つのポイントがあると考えています。
①最悪に備えあらかじめ落ちる場所を決めておくこと
②最悪の場合には躊躇なくそこに飛び降りること
③何の勝算もなくただしがみついているだけだと結果として大けがをすること

ところで、上記と似たような考えの次の言葉も迷いを断ち切る後押しをしてくれます。
◆身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(ことわざ)
◆切りむすぶ 太刀の下こそ地獄なれ 踏みこみゆけば後は極楽(勝海舟「氷川清話」で紹介されている剣客の歌)

 私は有事での初動対応時にはいつもこれらを意識するように心がけています。そうすることによって無用な迷いから解放されるからです。あくまで個人的な経験から言えることですが、皆様の参考になれば幸いです。

コーヒーブレイク

「起点」という考え方
 第10回目の記事(実態を問う質問(背景を問う))でも書きましたが、どんなことにも過去からの経緯があり、さらに言えば発端となった起点があるはずです。どこを「起点」とするかはその人の考えによって変わりますが、少なくとも「どこかに起点があるはずだ」、そして「その起点は何だろうか」と考えるクセをつけておくと、背景理解が深まります。
 この「起点」ということに関して、サッカー解説者の戸田氏が書いた次の文章がとても示唆に富む内容になっています。今回のテーマである初動対応を考えるうえでも参考になると考えますので、第10回目の記事で紹介した戸田氏の文章をここでもご紹介しておきます。

「起点」とはなにか?
(中略)僕は、得点シーンや失点シーンだけを切り取り語ることはしない。なぜなら、得失点には必ず「起点」が存在するからだ。その起点がどこにあるかは、そのときどき、状況によって常に変わる。
 起点はどこだったのか?
 ゴール前でのこぼれ球を拾った得点シーンでは、最初のシュートを打った選手を起点と判断する人もいるだろうし、最初のシュートに至る前のプレーを起点ということもできる。
 僕が考える起点とは、その局面へと動き始めたところだ。
(中略)
「起点」はどこか、「起点」となるプレーをどう説明するかは、サッカーをいかに語るかという意味で、重要なポイントになる。攻撃陣だけが攻撃を作るのではないのと同様に、守備陣だけが守備をしているわけではない。(以下省略)
(出典)「解説者の流儀」(戸田和幸)

今回のまとめ

①初動対応について考える場合には、初動の起点という観点も意識しておくこと
②初動対応についてはOODAループを活用して考えることが有効なこと
③初動対応ではちょっとした迷いと遅れが命取りとなると肝に銘じること
④最悪に備え落ちる場所をあらかじめ決めておき、最悪の場合には躊躇なくそこに飛び降りること

OODAループを活用する場合の考え方の一例は下記のとおり

メモ

【OODAループに関連した記事】
 OODAループについては第3回目の記事(できる人が徹底しているOODAループとは?)で説明しています。
 また、OODAループと本質的に同じ考え方の「空雨傘紙」というフレームワークがあります。「空雨傘紙」については第50回目の記事(「空雨傘紙」の4つの要素で徹底的に考える)に書きました。
 ご関心があれば今回の記事と合わせてお読みください。

おすすめ図書

①「危機管理のノウハウ・Part1 信頼されるリーダーの条件」(佐々淳行)
②「危機管理のノウハウ・Part2 八〇年代・闘うリーダーの条件」(佐々淳行)
③「危機管理のノウハウ・Part3 危機に強いリーダーの条件」(佐々淳行)
④「定本 危機管理 ―我が経験とノウハウ」(佐々淳行)
⑤「平時の指揮官有事の指揮官あなたは部下に見られている」(佐々淳行)

 著者の佐々淳行氏は警察官僚として東大安田講堂事件、連合赤軍あさま山荘事件等の事件処理を指揮した方です。防衛庁への出向も経験し初代の内閣安全保障室長も担当され、昭和天皇大喪の礼警備を最後に退官されました。佐々氏の書いた本はご自身の経験に裏打ちされた極めて実践的なものであり、有事対応の神髄を学ぶことができます。特に現場責任者として最前線で危機対応に当たる人にとっては胸に響く内容が満載です。
 私は監査法人勤務時代、チームの現場責任者だった20代後半から30代前半のマネジャーの頃に佐々氏の本をそれこそ何度読み返したか分からないほど読みました。
 上記で挙げた④の本は、①から③の本からポイントを抜粋して編集したものなので、内容的には①から③を読む代わりに④を読んでおけば足りるのですが、臨場感や文脈などを考えると、①から③の3冊をすべて読んで欲しいです。
 また⑤の本は、有事における現場指揮官の心構えを説いた本で、どんな職業であれリーダーとして部下を率いるすべての人に読んで欲しい本です。
 なお、佐々氏はたくさんの本を書いており、今回紹介した本以外にも東大安田講堂事件、連合赤軍あさま山荘事件など実際の事件の当時の具体的な状況を書いた著作もあります。これらはまるで映画を見るように面白しですし、危機管理の実戦を学ぶうえでもとても勉強になります。 読者によっては著者の若干癖のある自慢めいた表現が鼻につくこともあるかもしれませんが、それも読み進めるうちに慣れて気にならなくなります。ぜひお読みください。

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ハットさん
ハットさん

有事での心構えを学びたければ、宮本武蔵の「五輪書」もとても参考になります。いずれこのブログでも取り上げたいのですが、興味のある方は読んでみてね。

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