プロは「(あって当然なのに)そこに無いものは何か?」に注目する #43

分析力・問題解決力

今回の記事では「(あって当然なのに)そこに無いものは何か?」に注目する考え方を紹介します

 唐突で恐縮ですが、今回はシャーロック・ホームズの有名な次のシーンから始めさせてください。

グレゴリー警部は尋ねた。「ほかに私が注意すべき点はありませんか?」
「事件当夜の犬の奇妙な動きに注意すべきでしょうね」
「犬はあの晩、何もしませんでしたよ」
「それが奇妙だというのです」

(出典)「白銀号事件」(コナン・ドイル「シャーロック・ホームズの思い出」より)

 あって当然なのにそれがない場合、そこに問題を解く重要なヒントがあります。素人は「存在している」ものばかりに注目しますが、プロは「存在しない」ものが何かという点に細心の注意を払います。グレゴリー警部は「犬はあの晩、何もしませんでしたよ」と呑気に答えていますが、ホームズは犬が吠えなかったことに着目し、それが奇妙だと指摘しています。まさにこれが「(あって当然なのに)そこに無いものは何か?」に注目する考え方です。
 ところで、このシーンは有名ですし、とりわけ何かを指摘する際に引用する人が多いので初めて聞く方は少ないかもしれません。例えば、あのドラッカー氏の「経営者の条件」では次のように書かれている箇所があります。

一〇回に一回は、突然夜中に目が覚め、シャーロック・ホームズのように、重要なことは、「(中略)犬が吠えなかった」ことだと気づく。

(出典)「経営者の条件」P.F.ドラッカー

 「(あって当然なのに)そこに存在しない」ものは何か?に注目する考え方は大事だとしても、問題は「存在しない」ものに簡単に気がつけるかどうかです。ドラッカー氏も書いているとおり、気がつくのは10回に1回くらいの割合でしかないというくらい、実践においては難しさがあります。それに10回に1回くらいの割合で気がつくにしてもちょっとしたコツが要ります。今回の記事ではそのコツを考えてみます。

まずは「存在しない」という否定表現について考えてみたい

 先ほど、素人は「存在している」ものばかりに注目するが、プロは「存在しない」ものが何かという点に細心の注意を払うと言いました。さらに、「存在しない」ものに気がつくためにはちょっとしたコツが必要との話しもしました。それでは、「存在しない」ものに気がつくためのコツは何かということになるのですが、それには、そもそも「存在する」という肯定表現ではなく、「存在しない」という否定表現はどういう状態を指すのかということから考えてみることが有益です。
 この点を考えるうえで修辞学が専門の香西秀信氏が自著の中とても参考になることを書いています。まずは紹介させてください。

◆(中略)「〜ない」という否定表現は、事実の客観的叙述ではなく、語り手の観念の反映にすぎないからだ。(中略)
 「彼は、振り返らずに、歩いて行った」という表現がある。が、この場合の、「振り返らずに」というのは、彼の「現実の」行為ではない。彼はただ「歩いて行った」のであって、決して「振り返らずに、歩いて行った」わけではない。つまり、「振り返らずに」という状況は、彼が「振り返る」ことを期待ないし予想していた語り手が、それが裏切られたことによって現出させた疑似「事実」なのである。では、こういう例はどうか。ある人が、「私は学生時代一度も旅行に行ったことがない」と言ったとする。この言葉に嘘はないだろう。が、これもやはり、語り手の想念が発生させた疑似「事実」なのだ。彼が学生時代に「した」事は、理論的には有限の行為として客観的に叙述しうる。しかし、彼が学生時代に「しなかった」事は、現在の彼が何を話題として思い浮かべるかによって、無限に発生する。要するに、否定表現とは、語り手(表現者)の観念にすぎないものを疑似「事実」として存在させてしまうものなのだ。(以下省略)
◆「(中略)まだ到着していなかった」という表現の場合、それは実際の行為を具体的に叙述したものではなく、(語り手の)心の中にある期待(未だ達成されていない)を、暗示しているにすぎないからだ。つまり、「到着した」という行為はあっても、「到着していない」という行為はない。それは現実の出来事ではなく、語り手の観念なのだ。「否定は自然界には存在せず、たた人の意識の中にのみ現れる。」(以下省略)

(出典)「修辞的思考」(香西秀信)より。(注)ハットさんが一部太字にした。

 上記で重要なのは、「振り返る」という期待ないし予想があるからこそ、それに反した状態に対して「振り返らなかった」という否定表現が成立するということです。つまり、語り手があらかじめ何かを想定していないと否定表現は成立しないということです。言い方をかえると、本来どうあるべきかというそもそものイメージがない人には否定表現は思い浮かばないということなのです。この点はとても重要です。

 冒頭で紹介したシャーロック・ホームズの例で説明すると次のようになります。

「存在しない」ものに気がつくためには問題意識が欠かせない

 本来どうあるべきかというそもそものイメージがない人には否定表現は思い浮かばないという説明をしました。この点を踏まえて考えると、「存在しない」ものには気がつくためには、漠然と見るのではなく、本来どうあるべきなのかという具体的なイメージを思い浮かべながら、それがあるのかないのかという視点で見ることが重要なのです。つまり「存在しない」ものには気がつくかどうかは、問題意識の有無によって左右されるのです。
 このことを理解するために簡単な例で説明させてください。例えば、テーブルの上を見たとしましょう。このとき、このテーブルの上に「ないもの」は何かを考えてみることにします。何をないと認識するかはその人の問題意識によります。テーブルの上には食事関連のものがあるはずだとの認識がある人にとっては、食器がないことに違和感を覚えるかもしれません。このテーブルは事務作業をするものだとの認識がある人にとってはPCがないことに不自然さを感じるかもしれませんし、このテーブルが読書をするためのものとの認識がある人にとっては本が置かれていないことを不審に思うかもしれません。また、「そこに愛はあるんか?」と思っている人にとってはその殺風景なテーブルの上をみて「愛はない」との感想を抱くかもしれません。
 要すれば、どのような問題意識を有しているかによってこのテーブルの上に何がないかの認識が変わってくるのです。逆に、何の問題認識がない人にとってはテーブルに何もないことに特段の違和感を持つこともありません。グレゴリー警部のように…。

 いずれにして、「存在しない」ものに気がつくためのコツとして次の2点が挙げられます。
 ①的確な問題認識(本来あるべきものは何かの認識)を具体的に意識すること
 ②その認識から見て、そこに存在しないものがあるかどうかを常に自問すること

地道なことですが、この姿勢を徹底するしかないというのが私の考えです。

コーヒーブレイク

【会計士監査の仕事で大事なこと:存在するかどうかも分からない不正に気がつくかどうか?】
 今回の記事では、プロは「存在しない」ものが何かという点に細心の注意を払うとの趣旨の説明をしました。この点に関連して、私の専門領域である会計士の仕事(会計監査の仕事)の話しをさせてください(会計監査に関心のない人は読み飛ばしてもらってOKです)。
 会計士が監査を行い、適正意見を表明しているにもかかわらず、後日大きな不正が発覚することがあります。そうなると会計士の監査を信頼しその会社に投資をした投資家など利害関係者は大変な迷惑を被ります。そういう事態にならないために、会計士はまだ見つけていない不正がどこかにあるのではないかという職業的な懐疑心を常に保持して監査を進めていきます。
 しかし、どこにあるのか・ないのかも分からない、あるにしてもどんな形でどこに潜んでいるのかも分からない不正を発見するのは容易なことではありません。すでに発見した不正(実在が確認できた不正)の裏付け確認をすること、すなわち実在性の検証はそれほど難しいことではありませんが、存在するかどうかも分からないものを探すという行為はとても難しいことです。そもそも探す対象を具体的にイメージできていない状態で闇雲に探しても探し当てる確率は相当に低いです。高い確率で探し当てるために重要なことは、可能性としてどんな不正があり得るのかを具体的にイメージできていることです。また、見当外れの領域を漫然と探していても発見はできませんので、あたりをつけることも大事です。
 とにかくいたる場面で具体的な問題意識という網を張り、その網に引っかかるものがないかどうかを慎重に注視し続けることが求められます。同時にちょっとした兆候や変化に敏感になることも重要です。そんなことは監査現場にいる会計士なら誰でも常に意識していることですが、実践するとなると経験の差が大きくものを言う世界であることも確かなのです。会計士として一流の監査のプロになるための道のりは険しいものがあり、気が休まることがありません。

 以上、会計士が監査という仕事の中で「存在しない」ものが何かという点に日々注意を払っていることの一端をご紹介しました。

今回のまとめ

◆素人は「存在している」ものばかりに注目する。
◆真のプロは「存在しない」ものが何かという点に細心の注意を払う。
◆「存在しない」ものに気がつくためには問題意識が大事。具体的には次の2点を徹底すること。
①的確な問題認識(本来あるべきものは何かの認識)を具体的に意識すること
②その認識から見て、そこに存在しないものがあるかどうかを常に自問すること

メモ

今回取り上げた「見えないものに気がつく」という考え方に関連するのが第59回目の記事(「WHY NOT?」も考える)です。興味のある方はこちらの記事もどうぞお読みください。

おすすめ図書

「シャーロック・ホームズの思い出」(コナン・ドイル)

 今回の記事本文で紹介したホームズの「白銀号事件」はこの本に含まれています。シャーロック・ホームズについては誰しも子供の頃に一度は読んだことがあるでしょう。また何度もドラマや映画にもなっているので多くの人にはお馴染みだと思います。しかしながら、仕事術という観点で作品を読み直すと、また違った発見があります。
 仕事術を学ぶという観点で読むときにお勧めしたいのがホームズのセリフだけに注目して読み進めるという方法です。ホームズものは、どの作品もそれなりに興味をそそるストーリーが多く、つい話の展開と結末に注目してしまいがちなのですが、そこをあえて無視して、とにかくホームズのセリフだけを丹念に追って読んで欲しいのです。例えば、今回の記事本文で紹介した「白銀号事件」だったらホームズの次のようなセリフだけに注目して読んでみるのです。

◆「想像力の値打ちがわかるだろう」ホームズはいった。「グレゴリーに欠けているのは、この素質なんだよ。われわれは何が起こったかを想像して、その仮説に基づいて行動し、それが正当だったと確認したのだ」
◆「ほかの色々なつまらない事実に惑わされて、本当の意味を読み取れなかったのです」
◆「事件をはっきりと認識するには他人に話してみるのがいちばん」
◆「この問題を解明する前に、私は、あの晩犬が吠えなかった事実の重大さに気がつきました。ひとつの正しい推理は、さらにいくつかの推理を引き出すものです」

 こんな感じでホームズのセリフに注目すると、仕事術として示唆に富むフレーズが満載であることに気がつきます。本ブログでも私がホームズから学んだ仕事術をいずれまとめて記事にしたいと考えています。
 今回は記事本文で紹介した「白銀号事件」が掲載されている「シャーロック・ホームズの思い出」をお勧め図書して挙げましたが、これに限らずホームズ作品のどの本でもいいので仕事術という観点で読み直すことをお勧めいたします。なお、ホームズ作品は色々な出版社から翻訳されており、どの出版社の訳がお勧めというものは特にありません。ここでは新潮社の文庫本をリンクとして紹介しておきます。

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ハットさん
ハットさん

私が大好きなアンディ・マクナブという作家の小説にこんなセリフがあります。


「肝心なことは見えていることだけではないのよ、ニック。そこにないものの方が大事な場合があるのよ。」 (出典)「クラアイシス・フォア」(アンディ・マクナブ)

私はこのセリフをいつも忘れないように心がけています。

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