「出船の精神」次回すぐに使えるようにひと手間惜しまない精神 #47

全般

今回は「出船の精神」についてお話しをします。

 船乗りの間では「出船の精神」という心構えがあるそうです。「出船」という言葉の意味については後ほど説明しますが、この精神の意味するところは「次回にすぐに使えるように、ものをしまうときにはひと手間惜しまないこと」です。私は元来無精者で、かつ几帳面でもないのですが、この「出船の精神」を知ってからは、この心構えを習慣にするようにしています。とても役に立つ心構えなので今回ご紹介する次第です。

「出船」とは何か?

 まず「出船」という言葉の意味から説明します。船を桟橋に停泊させるとき、停泊の仕方によって「入船」と「出船」の二種類に分類されるそうです(下記図を参照)。

 上記図から分かるとおり、「出船」とは船を係留する際に船首を海側に向けることをいいます。

「出船」の精神

 「出船」の言葉の意味は分かりましたが、それでは「出船の精神」とは何を意図しているのでしょうか。それにはまず「出船」にどんなメリットがあるのかを考えてみましょう。「出船」のメリットといえばすぐに出港できることです。一方で、「出船」で係留しようとすると大変面倒なことになります。なぜなら、車と違って船の場合には、後進するのに手間がかかるからです。それでもあえて「出船」で係留する理由はすぐに出港できるというメリットが大きいからなのです。特に緊急時の出動が想定される軍艦などは、すぐに出港できずにグズグズしていると役に立たないからです。この「出船の精神」に関して、海上自衛隊で1等海佐だった小泉昌義氏は自著の中で次のように書いています。

⚫︎出船につける
(中略)叩き込まれるのが「出船の精神」である。
 どんなに苦しい訓練の後でも、どんなに天気が悪くても、カッター(短艇)訓練が終了したらダビッドに揚収し、用具を整備し故障欠損している箇所はすぐに修復してからやっと解散となる。同様に、夜寝るときは、翌朝着る物を枕もとのハンガーに整頓して掛け、また朝起きたなら、夜すばやくベッドが作れるように毛布をきちんと畳んでおく。何事も終了後すぐに解散するのではなく、次回円滑にスタートできるように、準備してから終了する「プリペアドネスの精神」である。教官の口癖は「使うためにしまうということを忘れるな。準備ができていれば、作業は半ば終わったも同然である。即使えないものは、戦場では何の役にも立たない」である。
 出船の由来は、艦艇が入港した時、そのまま艦首を岸壁に向けて係留するのを入船というのに対し、いったん向きを変え、湾口に艦首を向けて係留することを出船という。出船にすると入港時間はかかるが、次回すばやく出港できる利点がある。特に長い航海の後などは、乗員一同一刻も早く入港作業を終えて上陸し、家族の元へ行きたいものである。それにはすんなり入船につければ良い訳であるが、多少時間がかかろうとも出船にするのは、いつ何時有事が発生し、緊急に出港するかも知れず、たとえ通常の出港であっても、出船にしておけば余裕をもって行動できるためである。次回の行動を考慮し、確実にすばやく、そして心に余裕を持って安全にスタートが切れるようにするための知恵であると同時に、休むときは徹底的に休めという教えでもある。(中略)
 日常生活でも、この考え方はいろいろな面で応用できる。例えばマイカーを車庫に入れる時、多少面倒でもバックで入れ出船にしておけば、明朝忙しいときに短時間で出発できるし、夜寝るときに脱いだものをきちんと畳んで枕元におけば、翌朝すぐ出発できるだけでなく、夜中に不意の地震や火事が起きても慌てず暗闇の中でも対応できる。

(出典)「海上自衛隊員の作り方」(小泉昌義)(注)ハットさんが一部太字にした。

 つまり、「出船の精神」とは、「次回すぐに使えるように、しまうときにひと手間かけることを惜しまない精神(使うためにしまうという精神)」のことです。

ところで、この「出船の精神」から学ぶべき点は次の二つです。
①よく使うものこそ次回に即使えるようにしまい方を工夫・徹底すること
②しまうときにひと手間かけることを惜しまないこと(面倒くさいという気持ちとの戦い)

以下で順に説明します。

①よく使うものこそ次回に即使えるようにしまい方を工夫・徹底すること

 私は上記小泉氏の文章を読んだ時、「使うためにしまう」という言い回しに目から鱗が落ちるような思いでした。私のそれまでの感覚で言えば、「(当面)使わないからしまう」または「(どうせ使うならしまわずに)そのまま出しっぱなしにしておく」のいずれかの考えしか持っていなかったからです。そのため、ここで指摘されている「(よく使うからこそ)次回に即使えるようにするために、置き場所も置き方も徹底しておく」という趣旨の考え方は新鮮でした。しかしながら、よくよく考えてみると、どこの生産現場などを見ても当たり前のことです。例えば、工具類のしまい方1つでも保管方法が細かく規定されていて、次回に即使えるようにするために、置き場所も置き方も徹底されています。使おうとするたびに、いちいち所在を探したり、余計な準備時間がかかるようなら、仕事にならないからです。とはいえ生産現場ならいざ知らず、個人の小物類(例えば財布とか鍵とか)まで徹底している人は、よほど几帳面な性格でない限り、多くはないかもしれません。少なくとも私は気にもかけていませんでした。しかし、小泉氏の文章を読んで以来考え方を改めて、使うものこそ次回に即使えるようにしまい方を工夫するということを心がけています。お陰で探し物をする時間が激減しました。

②しまうときにひと手間かけることを惜しまないこと(面倒くさいという気持ちとの戦い)

 小泉氏も書いているとおり、「特に長い航海の後などは、乗員一同一刻も早く入港作業を終えて上陸し、家族の元へ行きたい」はずです。誰だって疲れているときに余計なひと手間をかけるのは嫌なものです。はっきり言って面倒くさいです。そんな面倒くさい気持ちと戦い、あえて余計なひと手間をかけても「出船」の状態にして終わる。そして、それが結果的に自分を救ってくれると確信すること。これが「出船の精神」を実践することです。なかなか難しいことですが、私は次の文章に感化されてからは徹底できるようになりました。

大変な状況の時には手を抜いて早く休みたいものだ。だが、こんな状況ではつねに5%の余分な努力を惜しんではならない。それが50%増の快適な状態をもたらす。

(出典)アンディ・マクナブの小説「ファイアウォール」より。(注)文脈を踏まえハットさんが若干セリフを改変した。

 仕事をうまく乗り越えたいとお考えなら、「出船の精神」の徹底をぜひお勧めします。

コーヒーブレイク

【記事本文で紹介した作家 アンディ・マクナブとは?】
 ここで今回の記事本文で紹介した小説家 アンディ・マクナブについて紹介させてください。アンディ・マクナブはイギリスの元軍人(イギリス陸軍スペシャル・エア・サービス(SAS)所属)です。彼は湾岸戦争の際に、8人のチームでイラクに潜入し、イラク軍のスカッド・ミサイル破壊作戦(ブラボー・ツー・ゼロ)で捕虜になりました。その際の自身の体験談を書いた作品として『ブラボー・ツー・ゼロ(原題:Bravo Two Zero)』が有名です。

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 マクナブは退役後小説家になりいくつかの作品を発表しています。いずれも小説としては退屈との評価がつきまとい、必ずしも人気があるわけではありません。しかしながら、描写のリアリティさは群を抜いています。何しろ実体験に裏打ちされているので。
 蛇足ですが、マクナブが参加した作戦ブラボー・ツー・ゼロの8人のチームのうち1人だけ敵の包囲網をくぐり抜け、単独で290キロメートル (190マイル)を逃げ帰ってきた隊員がいます。その人が退役後作家になったクリス・ライアンです。クリス・ライアンも小説を多数書いていますが、上述したマクナブと異なり、エンターテイメント小説の才能があったようで、現在では冒険小説の第一人者として大変な人気作家になっています。

 いずれにしても、アンディ・マクナブの小説もクリス・ライアンの小説も、軍隊での特殊部隊の過酷な現実を垣間見ることができます。危機での対応を知るという観点でも仕事に活かす学びがあります。お暇があればアンディ・マクナブかクリス・ライアンの作品をどうぞ。

【アンディ・マクナブ作品の一例紹介】
ラスト・ライト (角川文庫)
クライシス・フォア (角川文庫)
ファイアウォール (角川文庫)

【クリス・ライアン作品の一例紹介】
暗殺工作員ウォッチマン (ハヤカワ文庫NV)
偽装殲滅 SAS隊員ジョーディ・シャープ (ハヤカワ文庫NV)
反撃のレスキュー・ミッション (ハヤカワ文庫NV)

今回のまとめ

◆常日頃から「出船の精神」を心がけること。この心がけが自分を救ってくれる。
◆「出船の精神」でポイントは次の2つ
①よく使うものこそ次回に即使えるようにしまい方を工夫・徹底すること
②しまうときにひと手間かけることを惜しまないこと(面倒くさいという気持ちとの戦いであること)

おすすめ図書

「海上自衛隊員の作り方―リクルートとしての自衛隊」(小泉昌義)

 最初に申し上げておきますが、この本をお勧めするからといって私自身が自衛官になりたかったわけでもありませんし、皆様に自衛官を目指して欲しいと思っているわけでもありません。私が関心を持っていることは、極限状態に置かれた人が生き延びるためにどのような工夫をしたのかということです。時代やジャンルは異なれ、絶体絶命のピンチから生き残った人には必ずコツなり秘訣があるはずで、その術を学び自分の仕事に活かしたい。その想いからたくさんの本を読んできました。その一環で読んだ1冊が上記の本です。
 著者の小泉昌義氏は海上自衛隊で1等海佐だった人であり、海上自衛官として身につけた心構えを教えてくれます。この中にはどんな仕事にも参考になる教えもありました。今回の記事本文に紹介した「出船の精神」もその一つです。それ以外にも、例えば下記のような記述が参考になりました。

⚫︎負けじ魂
 チームワークは、その中で1番弱い者のレベルで事が破綻する。
⚫︎向かい潮
 (中略)荒天時が必ず艦首をこれら(注:潮のこと)の来る方向に立てるのが船乗りの常識である。(中略)
 この向かい潮は、単に艦艇の運行上の注意事項にとどまらず、艦長の心構えをも示唆している。いわゆる追い風が吹くとかいう自分に有利な状況を期待せず、困難にあったら自分と乗員を鍛える試金石と考え、困難な逆風に飛び込んでいく心意気を持てという教えである。ピンチに立って敵に後ろを見せると、戦場心理で恐怖感に襲われ必ず部下は浮き足立ち統制が取れなくなる。(中略)
 旧海軍の提督の中にも「万策尽きて窮地に追い込まれたら、自分を鍛えるチャンスだと思い、無茶でもいいから敵に向かって積極的行動に出よ。引いたら全滅しかないが、前に出ればあるいは活路が見いだせるかもしれない」と教えた人もいた。
⚫︎左警戒右見張り
 作戦行動中に「左から敵」と報告が来れば、艦橋にいる者は皆一斉に左を向く。しかし、たまたま見張りが最初に発見したのが左側から来る敵機であって、もしかしたら右側からも来ているかも知れない。そう考え、とっさに反対舷側にもチラッと目をやるのが艦長たる者であるという教訓が、この「左警戒、右見張り」である。部下と一緒になってカッカせず一段高いところからクールな目で眺めることが艦長には求められる。
⚫︎ダメ押しと落とし所
 旧日本海軍の作戦上の失敗に共通する点は、緒戦の勝利に満足し、さらに勝利を確実なものにするための「ダメ押し」が不十分であったことと、始めた戦いをどう収めるか「落とし所」のシナリオがなかったことと言われている。(中略)
 「落とし所」が不明確な欠点は、戦いをどう終わらせるのか、すなわち「攻撃終末点」に明確な理念が不足しているところである。どういう状況まで来たら交渉を始め、妥協点はどこで、落とし所がここという見通しを持っていないと、ズルズル長期戦になりかねない。その点、明治の政治家や軍人はしっかりしており、日露戦争を開始するにあたり世界情勢を見極め、友好国へ根回しをし、さらに終戦に持っていくタイミングを当初から頭に入れていた。

 「出船の精神」について今回の記事本文の説明を読むだけでも十分なのですが、その由来となっている船乗りのマインドにまで触れてみたい方にお勧めします。

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ハットさん
ハットさん

「出船の精神」とは、疲れているときにすぐ休みたくなる気持ちとの戦いです。

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