今回は「『失敗の本質』から学ぶ」の第8回目で「同じ失敗を繰り返すな(失敗から組織的に学べ)」という話しをします。
第74回から「『失敗の本質』から学ぶ」というテーマで連載しており、私が「失敗の本質」を読んで肝に銘じていること(8つ)を順にご紹介しています。今回は7番目「同じ失敗を繰り返すな(失敗から組織的に学べ)」についてお話しします。
今回お伝えしたいことを最初に要約すると…
今回お伝えしたいことを最初に要約すると、「失敗の本質」では日本軍の失敗要因として、次の点を指摘しています。
◆日本軍は組織的学習を軽視したこと
◆学習よりも優先したのは対人関係に対する配慮だったこと
◆これに対してアメリカ軍は理論尊重・学習重視だったこと
図にすると次のとおりです。
以下では「失敗の本質」で書かれている具体的な指摘のいくつかを紹介します。
「失敗の本質」で指摘されている「学習の軽視」
日本軍は学習を軽視し、失敗から学ばなかった点が指摘されています。「失敗の本質」の中では例えば次のような指摘がなされています。
◆およそ日本軍には、失敗の蓄積・伝播を組織的に行なうリーダーシップもシステムも欠如していたというべきである。
(出典)「失敗の本質」野中郁次郎他
◆ガダルカナル島での正面からの一斉突撃という日露戦争以来の戦法は、功を奏さなかったにもかかわらず、何度も繰り返し行なわれた。そればかりか、その後の戦場でも、 この教条的戦法は墨守された。失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくということは驚くほど実行されなかった。
これは物事を科学的、客観的に見るという基本姿勢が決定的に欠けていたことを意味する。
また、組織学習にとって不可欠な情報の共有システムも欠如していた。日本軍のなかでは自由闊達な議論が許容されることがなかったため、情報が個人や少数の人的ネットワーク内部にとどまり、組織全体で知識や経験が伝達され、共有されることが少なかった。
◆日本軍の最大の特徴は「言葉を奪ったことである」(山本七平)という指摘にもあるように、組織の末端の情報、問題提起、アイデアが中枢につながることを促進する「青年 の議論」が許されなかったのである。(中略)個々の戦闘から組織成員が偶然に発見した事実は数かぎりなくあったはずである。日本軍は、それらの偶然の発見を組織内に取り込むシステムや慣行を持っていたとはいえない。
上記と対照的にアメリカ軍は理論尊重・学習重視でありました。
これに対して、米軍は理論を尊重し、学習を重視した。ハルゼー麾下の米第三艦隊参謀長ロバート・B・カーニー少将はレイテ島攻略を前にして次のように語った。
(出典)「失敗の本質」野中郁次郎他
どんな計画にも理論がなければならない。理論と思想にもとづかないプランや作戦は、女性のヒステリー声と同じく、多少の空気の震動以外には、具体的な効果を与えることはできない。
こうした理論の尊重は当然そのための学習を促すことになる。米軍にとって、理論とは他から与えられるものでなく、自らがつくり上げていくべきものと考えられているからである。
それにしても特に呆れてしまうのが、作戦前の図上演習で事前に見つかった問題点を生かすどころか見なかったことにしてしまい、結果として本番では図上演習よりももっとひどい敗北をきたしていることです。さらに、敗北後の振り返りも「いまさら突っついて屍に鞭打つ必要がない」という理由で行っていません。「失敗の本質」で紹介されている次のエピソードを読んで絶望感を感じるのは私だけではないでしょう。
ミッドウェー島攻略の図上演習を行なった際に、「赤城」に命中弾九発という結果が出たが、連合艦隊参謀長宇垣少将は、「ただ今の命中弾は三分の一、三発とする」と宣言し、本来なら当然撃沈とすべきところを小破にしてしまった。しかし、「加賀」は、数次の攻撃を受けて、どうしても沈没と判定せざるをえなかった。そこでやむなく沈没と決まったが、ミッドウェー作戦に続く第二期のフィジー、サモア作戦の図上演習には沈んだはずの「加賀」が再び参加していた。
(出典)「失敗の本質」野中郁次郎他(注)ハットさんが一部太字にした。
ここでの宇垣参謀長の措置は、図演参加者の士気の低下を恐れたためといわれる。つまり、日米の機動艦隊決戦という戦争の重大局面を前にして、甚大な被害あるいは敗北を予想させるような図演の結果は、参謀や前線指揮官の間の自信喪失につながることを懸念したのである。
こうした配慮自体がまったく無意味だというわけではないが、図上演習は作戦計画の実行の可能性を検証し、問題点や改善策を総合的に検討する重要な学習機会であった。ミッドウェー海戦の結果は、日本軍にとって図上演習で予想された以上の決定的敗北であったが、作戦終了後に通常行なわれる作戦戦訓研究会もこの際には開かれなかった。作戦担当の黒島先任参謀は、戦後、次のように語ったといわれる。
本来ならば、関係者を集めて研究会をやるべきだったが、これを行なわなかったのは、突っつけば穴だらけであるし、みな十分反省していることでもあり、その非を十分認めているので、いまさら突っついて屍に鞭打つ必要がないと考えたからだった、と記憶する。
(吉田俊雄「四人の連合艦隊司令長官」)
いくら学習軽視と言っても程度問題であり、普通は失敗からある程度の学習をするはずですが、これほどまでに精神論重視で学習放棄をすると、負けるべくして負けた感はあります。
教訓としては「失敗から組織的に学ぶ」こと
日本軍の失敗と同じ轍を踏まないための教訓としては、「同じ失敗を繰り返さない」ということが重要であり、そのためには「失敗から組織的に学ぶ」ことです。
元プロ野球監督の森祗晶氏も自著で次のように書いています。まさに次の成功に向けては失敗後の反省(振り返り)が欠かせません。それをしない限り何度でも同じ失敗を繰り返すだけです。
だが(中略)負けの中にも勝ちにつながる何かを見つけるということは、大切なことだと思う。(中略)負けは負けとして、同じように、反省材料を探し出すことが、最終的な価値につながる。
(出典)「二勝一敗の人生哲学」森祗晶
もうひとつ、私の持論に「リーダーは建設的より反省的であれ」というのがある。(中略)常に結果をきちんと分析して、明日につなげることが重要だと思う。反省を重視するということだ。地味だが、確実性はある。(中略)
(出典)「監督の条件 決断の法則」森祗晶
どうやったら勝てるかを頭の中でひねり出し、イチかバチかでそれに取り組むより、去年の反省をしっかりするほうが、はるかに高い勝利への可能性がある。
反省の中にこそ建設の芽がある。勝とうとする執念はさまざまな建設的なアイディアを生み出すが、それよりもなお、地道な反省のほうが勝利への近道であるということはあまり知られていない。
今回のまとめ
◆日本軍は組織的学習を軽視したこと
◆学習よりも優先したのは対人関係に対する配慮だったこと
◆これに対してアメリカ軍は理論尊重・学習重視だったこと
◆同じ失敗を繰り返さないため、組織として失敗から学ぶこと
今回のテーマである「同じ失敗を繰り返さない」ということに関連しては、第70回目の記事(致命的な失敗への対処法 )も参考になると思います。こちらも読んでもらえると嬉しいです。