今回は「情報には分母と分子がある」というお話しをします。
いきなり「情報には分母と分子がある」と言われても何のことやらさっぱり分からないでしょう。まずは、情報の分母と分子についての全体像を紹介させてください。
【情報の分母と分子とは?】
①情報には分母と分子がある。
②情報の分母とは?
➡ 情報の置かれた状況・背景のこと
③情報の分子とは?
➡ 情報そのもののこと
④例を挙げると
「寒い日」という情報(分子情報)があったとしても分母によって意味合いが異なる。
つまり、情報を議論する場合には、①どういう背景・状況(→これが分母)のもとで、②どんな情報(→これが分子)について、議論しているのかを明確に意識しておくこと、特に①の背景・状況(分母情報)に注目することが大切です。今回の記事ではこの点についてお話しをします。
情報の分子と分母に関する留意点
情報を理解するときには「分子情報」と「分母情報」に分けて理解することが大事です。この「分子情報」と「分母情報」は、すでに説明したとおり下記を指します。
①情報の分母とは?
➡ 情報の置かれた状況・背景のこと
②情報の分子とは?
➡ 情報そのもののこと
ここで留意点があります。情報について議論する場合、通常は上記②の分子情報のみがクローズアップされて、①の分母情報は暗黙のこととして明示されない傾向があります。しかしながら、①の分母情報(背景・状況・文脈など)を無視して議論することは大変危険なことであり、情報(分子情報)の理解をミスリードすることになりかねないというのが本記事で強調しておきたいことです。
この点に関して、編集工学研究所所長・松岡正剛氏の次の主張には大いに耳を傾けるべきでしょう。少し長い引用になりますが、ぜひ紹介させてください。
情報の分母と分子
(出典)「知の編集術 発想・思考を生み出す技法」(松岡正剛)
(中略)情報には「分母としてあらわされる情報の特徴」と「分子としてあらわされる情報の特徴」とがあるということだ。そう考えるとわかりやすいかもしれない。そしてこの両方に、すなわち地にも図にも、分母にも分子にも、それぞれ情報の特徴は見出される。
具体的な例を出そう。
たとえば「寒い日だね」という分子の情報があるとして、分母に「冬」をもってくるか 「夏」をもってくるかで、ずいぶん分子の情報にたいする見方が変わってくる。同じ「寒い日だね」という情報も冬の一日で寒いのなら温度はかなり低いはずだし、これが夏ならば二十三度でもけっこう寒いことになる。
また、「あいつはピアノがうまい」という分子情報は、分母が「作曲家」か「ジャズメン」 か「会社員」かによって大きく変わる。 ピアノのうまさの土台(地)がちがう。糸井重里 のコピーで有名になった「おいしい生活」は出元が西武百貨店の広告だったから〝生活感覚〟のようなものが分母になったのだが、これがファストフード連合会の広告ならば、このコピーの意味は〝おいしい食べ物〟だけになってしまう。コピーも編集なのである。
もっと一般化していえば、「異常だ」「笑止千万」「保守的」「経済効果」「独創的」「困った」「苦労をかけた」…、これらの言葉がもっている情報の意味は、いずれもどのよう分母に属する地の情報をもとに表現されているかによって、その図の分子的特徴は変わってくる。こうした分母をちゃんと明示しない議論が最近はふえている。 分母なき時代、母なき時代なのである。
この地(分母)と図(分子)による見方をさらに一般的な情報問題の見方に適用していくと、ちょっと深みが見えてくる。
たとえば「あれは音楽的だね」という言葉があったとする。よくつかわれる。しかし 「音楽的」といったって、この言葉がモダンダンスにつかわれたのか、映画につかわれたのかでは、意図も意味も変わってきてしまう。また同じ映画でも山田洋次の映画が音楽的だったのか、リドリー・スコットの映画が音楽的だったのかでは、話の濃淡がそうとうにちがってくる。さらには「ジャン・コクトーは音楽的である」は、分母をコクトーの映画 か、コクトーの文学におくかによっても変化する。
こうなってくると、分子と分母の情報の比較ということは問題を解くときや議論するときの基本的な方法にも通用するのだ、ということがいよいよ見えてくるのではないだろう
われわれは「教育の腐敗」とか「地球にやさしい」といった言葉を、ずいぶん金科玉条 のようにつかっている。けれども、これはまだまだ分子情報としての問題だけがいかにも〝正解〟の顔をして提起されているだけであって、この問題にふさわしい分母を適確にさがしあててはいないともいえる。たとえば、「海」という分母にとって「地球にやさしい」 ということと、「公園」という分母にとって「地球にやさしい」ということとは異なってくる。逆に「地球にやさしい」を分母にするのなら、その分子に「魚」がのるのか、「心」 がのるのかでも異なってくる。
もっとはっきりいえば、「民主主義」とか「小選挙区」とか「情報公開」とか「接待禁止」という方針は、はたして「国家」という地模様にふさわしいのか、「社会一般」なのか、どんな「コミュニティ」にも「家族」にもふさわしいものなのか、それはまだわかっていないのかもしれないのである。「ゴミ問題」という問題だって、社会環境という分母 から見るのか、それとも生物環境という分母から見るかで、その意味はずいぶん変わってしまうのだ。(以下省略)
なお、松岡氏は、情報の「分母」「分子」のことを別の表現として「地」「図」とも言っています。上記文章中に「地(分母)と図(分子)」のような表現が出てきて一瞬何のことを言っているのかと疑問に思われたかもしれませんので少し補足しました。
ちなみにご参考ですが、松岡氏は情報の「地」と「図」に関して、次のような説明をしています。こちらもあわせて読むと、情報の「分母」と「分子」に関する理解が一層進むと思われます。
(中略)おいおいわかっていくとおもうが、 編集の基本的な技法のひとつに「情報の地図をつくる」ということがある。
(出典)「知の編集術 発想・思考を生み出す技法」(松岡正剛)
「地」(ground)というのは情報の地模様のことで、「図」(figure)というのは情報の図柄のことをいう。情報といっても、そこには地模様もあれば図柄もあって、これらが組み合わさって情報になっている。
たとえば原子力発電の事故という事件があるとすると、その事件には地模様としての事件の土台にあたる原子力発電がそもそもかかえている問題と、図柄としての事件当時の問題とがまじっている。これをちゃんと分別しないと事件の原因もわからないし、情報としても混乱する。原子力発電所の機構の問題と、それを操作する所員の問題とは分別しなければならない。だいたいどんな事態や現象も、このように情報の地と図がまじっておこっている。そこで、それをどのように取り出すかということにあたっては、その地図を分けておく。
というわけで、「情報の地と図をつくる」ということが大事になるのだが、これはいまのところハードウェアタイプのデジタル型の機能では分別できないことが多い。そこには 人間の目や知が必要になる。身近な例でいえば、育児である。
育児には、まずもって基本的な育児に関する「地の情報」が必要だ。この「地の情報」 はお母さんが出産以前から勉強をしてアタマに入れておく必要がある。しかしいざ出産してみると、実際の赤ちゃんのいろいろな「しぐさ」に「情報」が読みとれなければ育児は成立しない。 赤ちゃんのしぐさはとても微妙だが、そこになんらかの特徴を発見できなければ母親は失格だ。これは「図の情報」なのである。お母さんは自分の子供を通して、このような「図の情報」を読み取っていく。
このように「しぐさ」や「くせ」にも、それなりの編集的契機というものがひそんでいるものなのだ。私はこれをこそ「情報の様子」とよぶ。 (以下省略)
要すれば、何かの情報というのは、前提情報としての背景・状況・文脈などが土台となっているので、この土台部分(これを松岡氏は「地の情報」という)をきちんと理解し読み取ることが大事だと言っています。全くそのとおりで常に気をつけたいところです。
ビジネスにおける「分母情報」の活かし方(元セブン&アイ・ホールディングス会長・鈴木敏文氏の考え方)
ここまでの説明を要約すると次のようになります。
①情報には分母(背景・状況・文脈)と分子(情報そのもの)がある。
②おなじ分子であっても何を分母(背景・状況・文脈)に議論するかで意味合いは全く変わってくる。
③だから議論の大前提である分母(背景・状況・文脈)には慎重かつ繊細な気遣いをもってもっと注目すべき。
④しかしながら、実際の議論では分子情報の正確性・厳密性・現実性などにばかり注目してしまうことが多い。これは危険だ。
ところで、上記のような留意点を踏まえて、実際のビジネスの現場で分母情報をどのように考えるのかということの1つの参考として、元セブン&アイ・ホールディングス会長・鈴木敏文氏の考え方を紹介します。『「鈴木敏文の「統計心理学」「仮説」と「検証」で顧客のこころを掴む』という本からの紹介になりますが、すべてを紹介すると長くなるので一部だけ紹介しておきましょう。
同じデータ、情報でも、「分母」 を変えると意味が変わる
情報には「分子として表される情報」と「分母として表される情報」がある。世の中のあらゆることがらを 「編集」という概念で捉えることから編集術の達人として知られ、企業経営者からも何かと知恵を求められることの多い松岡正剛氏・編集工学研究所所長の情報編集術の一つだ。例えば、「ピアノがうまい」という分子の情報は、分母が「ジャズメン」か「会社員」かによって大きく変わってくる。
同様に、データを読むときも、分母にどのような情報 なり概念を置くかによって、意味合いがまったく違って くる。この分母分子の撮り方が非常に巧みなのも鈴木流統計の非常に大きな特徴だ。
具体例を挙げよう。セブン-イレブンでは気温が三〇以上だと店頭に氷葉を多く揃え、三〇度以下だとアイスクリームを多くする。三〇度を超すか起きないかの違いでも、分母に「真夏」を置くと、「皮膚感覚において感じ方が大きく違ってくる」(鈴木氏)からだ。
あるいは、二五度という気温(ないしは室温)。 分母が「夏」なら「寒い」となり、コンビ ニでおでんがよく売れ、「冬」が分母なら「暑い」となり、一二月でもコートの下に切るイン ナー用に半袖やノースリーブが売れる(図9・例1)。●金言41「冷やし中華」がなぜ、冬でも売れるのか?
(出典)『「鈴木敏文の「統計心理学」「仮説」と「検証」で顧客のこころを掴む』(勝見明)
「例えば、春でもちょっと気温が上がると、みんな、暑いと感じます。そこで、店に冷やし中 華を並べてみると、パッと売れる。セブン-イレブンでは陽気によっては二月でも冷やし中華を用意します。過去の統計を見れば、冷やし中華は”真夏の食べ物”ということになり、八月が一番売れると思われがちですが、それは本当のようなウソで、今は六月下旬から七月上旬にかけてが一番売れています」
われわれは、つい分子の情報にとらわれてしまうが、分母を多様に変換することができれば、 発想の柔軟性が生まれてくる。鈴木氏はセブン-イレブンの陳列棚を実験台として、既成概念を次々と壊していく。(以下略。本ではこの後も考え方の具体例が紹介されている)
ご紹介した例は単純ですが、現実は複数の要素が絡み合っておりずっと複雑です。それでも考え方は同じです。考えるうえで何かのヒントになれば嬉しいです。
今回のまとめ
①情報には分母(背景・状況・文脈)と分子(情報そのもの)がある。
②おなじ分子(情報)であっても何を分母(背景・状況・文脈)に議論するかで意味合いは全く変わってくる。
③だから議論の大前提である分母(背景・状況・文脈)には慎重かつ繊細な気遣いをもってもっと注目すべき。
④実際の議論では分子情報の正確性・厳密性・現実性などにばかり注目してしまうことが多い。これは危険だ。
【情報の分母と分子の例】
おすすめ図書
『鈴木敏文の「統計心理学」 「仮説」と「検証」で顧客のこころを掴む』(勝見 明)
記事本文で紹介した情報の分母と分子という考え方は、言われてみれば当たり前ですが、分数の形でビジュアルに表現したところに発想のユニークさを感じます。松岡氏のように「分母」という言葉を使っていたとしても、仮に文章だけで説明していたらそれほど印象に残らない考え方だったと思いますが、今回の記事にも紹介した図解にしたことで一気に記憶に残るものとなりました。
本書のタイトルには「統計」の言葉がありますが、統計というよりは、情報の背後にある意味合いをどのように読み取るのかということを考えさせてくれる本です。さっと読める本なので読み通すのにそれほど時間もかかりません。パラパラっと眺めてみるだけでもお勧めします。
常に大きな背景・文脈・流れなどに注目すること。