実態を問う質問(何が起きたのかを問う)#9

質問力・コメント力

今回のテーマは「何が起きたのかを問う」です

 今回は「②何が起きたのか?何が起きていないのか?」について質問する際に注意すべき事項を説明します(今回の記事は、前回記事「実態を問う質問(定義から始める)#8」の続きです)。

前回記事のおさらい

 まずは前回の内容を簡単におさらいしておきましょう。前回から「実態を問う質問(どんな状況下で何が起きているのか)」を次の構造図に沿って掘り下げて説明しています。

 前回は「①それは何か?(定義)」について説明し、そのポイントは次の3点でした。
①議論のスタート段階で「それは何か?」という定義を確認し、お互いの認識を合わせておこう。
②見慣れない言葉だけでなく、ありふれた言葉であっても、想定している意味は人それぞれで違うかもしれない。
③Aを定義するには、そっくりな非Aとを区別する基準が何かを問うてみよう。

 今回は「②何が起きたのか?何が起きていないのか?」について質問する際に注意すべき事項を説明します。

「何が起きたのか?何が起きていないのか?」について質問する際に注意すべき事項

 「実態を問う質問(どんな状況下で何が起きているのか)」をする場合、何が起きたのかを質問するのは当然なのですが、ここでは次の4点に注意しなければなりません。


①どんな状況下で起きたのかをより具体的に聞くこと(ありありとした実際の状況を聞くこと)
②事実(ファクト)にこだわるあまり5W1H情報を単発で収集しただけで満足しないこと
③何が起きていないのか(同時に起きていても当然なのに起きていないこと)を探ること
④すぐに理由や原因を質問したくなるが、初期段階では厳重に差し控えること

 以下で順に説明します。

どんな状況下で起きたのかをより具体的に聞くこと(ありありとした実際の状況を聞くこと)

とにかくより具体的に聞くことが重要

 一言で「どんな状況下で起きたのかを聞く」と言っても、問いを発する人の問題意識によって質問(問い)の広がりと深さは大きく左右されます。問題意識が欠けると広がりも深みもない質問(問い)で止まってしまいます。あまり考えずに質問した場合、「どうしてそんなことになったの?」程度のことしか聞かないこともあり得ます。ここで重要なのは、問題意識を持ちながら、より具体的にありありとした実際の状況を把握するように、根掘り葉掘り質問することです。

 どんな状況下で起きていたのかをより具体的に把握できるかどうかによって、最終的に導き出される教訓や対策が、漠然としたとおり一辺倒のものになるのか、それとも極めて有効なものになるのかは大きく分かれることになります。

 なお、ありありとした実際の状況を質問することとは少し話がそれますが、問題意識の違いによって問いの広がりと深さが変わってくることを、前回記事のおすすめ図書欄で紹介した「論文のレトリック わかりやすいまとめ方」(澤田昭夫著)では、次のように書かれています。

「それは何であるか」という問いは「その本質は何か」、「その非本質的、偶有的特徴は何か」、「どういう見かけと構成でできているか」、「それは何を典拠としているか」、「いつ何が原因でその状態が生まれたか」、「他の同類のものとどう区別されるか」、「解決されるべき問題は何か」、「今まで提案されてきた解決方法は何と何か」、「解決のためにXが必要か、Yが必要か」と無限に発展し得ます。
(中略)
「何がいかに起こったか」という基本的問題は、展開されれば無限にといってよいほど多用に展開されます。「この事件はどういう条件下で起きたか」、「このできごとの必要条件、十分条件はそれぞれ何と何だったか」、「そのなかで直接的なものは何で、間接的なものは何だったか」、「このできごとは他のどういうできごと、あるいはどういうより大きいできごとと関連しているのか」、「このできごとは当時の知識人の代表的考えとどういう関係があるか」、「知識人とは何か。知識人は単一のグループと見られるのか、複数のグループに分かれていたか」、「この法は現実にどう実施されていたか、所期の目的ないし約束通りに運用されたか、現実の運用と建前の間のくいちがいはどれほどで、なぜそのくいちがいが生じたか」、「その法は現実にどういう効用があったか」、「この作品を生んだ動機は何だったか」、「この政策のうらにはどのような非合理的動機があったか」、「この思想は党派的利益に拘束されていたか、それを超越していたか」、「その主張は本音かカモフラージュか」、「この論述の重点はどこにあるか、理論的枠組みは何か、偏見は何か、どういうきっかけで誰を読者と予想して書かれたか」。(以下省略)

(出典)「論文のレトリック わかりやすいまとめ方」(澤田昭夫)より

簡単な例で考える

 どんな状況で起きたのかをより具体的に質問するための1つのイメージとして、単純な例を使って説明させてください。

 例えば、第一報として「お財布を落とした」という情報があったとします。それに対して、何も考えずに質問した場合には「どうして?」くらいしか質問しないかもしれません。しかし、落とした時のリアルな状況を知りたいと思えば、立て続けに次のような質問を浴びせかけるはずです。
◆財布はどこに入れていたの?(落としやすいところに入れていたの?)
◆落とした時には何をしていたの?(運動のように激しく体を動かしていたの?)
◆荷物をたくさん持っていて両手がふさがっていたの?
◆何か考えごとをしていたの?
◆誰かと一緒だったの?
◆どんな場所に行ったの?
などなど。

 こうして聞いていくうちに、財布を落とした時のリアルな状況が把握されます。その結果、例えば、財布は運動する時には尻ポケットに入れておいてはいけないとの教訓が導かれるかもしれません。また、今後の対策として運動時にはロッカーに預けておくこと、のように具体的かつ有効な対策が立てられるかもしれません。これに対して、起きた時のリアルな状況を把握していないと、「運動する時にはこれから気をつけようね」くらいの漠然とした教訓と対策しか導かれないでしょう。大違いです。

事実認定に長年にわたって携わってきた者としてアドバイスをすると

 「何が起きたのか」を認定することを私が専門の会計士の仕事の分野では「事実認定」といいます。ここまで読んだ方の中には、「事実認定においてはより具体的でリアルな状況を把握すること、というが、そんなの当たり前すぎて、わざわざ注意されなくても分かっている」とお感じになった人もいるかもしれません。当たり前なのはそのとおりなのですが、実際に重大事案が起きた際の事実認定において「どういう状況下で起きたのか」を調査していくことは、言うほど簡単なことではありません。私は会計士として、企業で起きた深刻かつ重要な不正案件の事後調査や事実認定に何度も携わってきましたが、どのような状況下で起きたのかを把握すること、言い換えると、発生時のありありとした実態を浮き彫りにすることはいつも容易ではありませんでした。ただ言えることは、本当に起こっていたリアルな状況とはどんな風だったのだろうかと何度も何度も問い続けることが大事だということです。

事実(ファクト)にこだわるあまり5W1H情報を単発で収集しただけで満足しないこと

全体感が大事

 「何が起きていたのか」という質問(問い)となると、頭にすぐに思い浮かぶのは、まず事実(ファクト)を確認することです。その事実(ファクト)とはニュースによくある5W1Hのような情報です。事実(ファクト)が大切さであることは当然ですが、ここで問題提起をしたいのは、事実(ファクト)が強調されるあまり、5W1Hを基礎とした情報を単発で集めただけで満足してしまうことが往々にして見られることです。

 事実(ファクト)・現象をいくら集めても、それが有機的につながって事案発生当時のリアルな状況を浮き彫りにするものでない限り、その情報はほとんど無力です。そのため、一見バラバラに見えた収集情報を有機的につなげて、事案発生当時のリアルな状況を浮き彫りにしていく作業がとても重要になります。しかし、実際にはそれは大変難しい作業です。なぜなら、情報の収集段階では事案の全体像はまったく想像つかず、本当のところ事案発生時がどんな様子だったのかは五里霧中だからです。

 ただ、ある程度事実が収集されてくると一定の仮説が立てられ、事案の大きな状況とか流れが推測できるようになってきます。大事なことは、大きな状況とか流れといった全体感を常に念頭に置いて事実の収集をしていくことです。何も考えずにやみくもに事実だけを集めればいいということでは決してありません。

 以上の説明を実感してもらうために、次の項では架空のニュース記事を例に説明しましょう。

簡単な例で考える

 ニュースでは、次のような情報が報じられていることをよく目にします。

午前●時頃、北朝鮮がミサイル1発を発射し、日本海のEEZに落ちました。

 これだけの情報では、たとえそれが紛れもない事実であったとしても、どんな状況下で起きたのかについては何もわかりません。そのため、起きたことで周辺にどんな影響があるのか、さらに将来的に何が起きるのかなどについて判断することは著しく困難です。

 もちろん速報であれば状況がよくわからない時点で報じられたものなので仕方がないし、速報そのものに文句があるわけはありません。ここで実感して欲しかったのは、単純な5W1Hを基礎とした事実・現象だけが単発的に報じられても、受け手は分からないことだらけで、何とも判断しようがないということなのです。

 この例でいえば、具体的にどんな状況下でミサイルが発射されたのかという事実・現象が有機的に集まりだすと、例えば、ミサイルは5発用意されていて最初の1発が発射されたこと、1発目のミサイルの発射準備が何時から行われていたこと、日本海に落ちたミサイルはどんなふうに落ちたのか、破壊力はどれくらいあり落ちた周囲にどんな影響を及ぼしたのか、次の発射に向けてどんな準備が進んでいるのか、など発生時の状況がありありと分かるような情報が集まると、情報の受け手は、次に何が起きるか想定したり、どんな備えをすべきなのか、現状どんな影響が出ているに違いない、などの判断ができるようになってきます。

 要約すると、5W1Hを基礎とした事実・事象を単発で把握するだけで満足するのではなく、集めた事実・事象を有機的につなげて事案発生当時のリアルな状況を浮き彫りにすることこそが重要だと肝に銘じて欲しいのです。

何が起きていないのか(同時に起きていても当然なのに起きていないこと)を探ること

 今までの説明で、何が起きているかを確認するためには、①起きた当時のより具体的な状況を把握すること、②全体感をもって事実を収集すること、の大切さをお話ししました。この①の説明をした際に、問いを発する人の問題意識によって質問(問い)の広がりと深さは大きく左右されますと言ったのですが、「起きていないこと」を意識することもまさに問題意識そのものにかかわることです。  
 問題意識があるからこそ「起きていないこと」に気がつくのです。反対の言い方をすれば、問題意識がなければ「起きていないこと」に関する質問(問い)は思い浮かびません。

 シャーロック・ホームズが「事件があった夜、犬が吠えなかったのが不思議だ」と言うのは、「不審者がいれば当然犬は吠えただろう」との問題意識があるからこそです。逆にグレゴリー警部は何の問題意識も持っていないので「犬はあの晩、何もしませんでしたよ」などと呑気でいられるのです。

 とにかく、何が起きていないのかを意識することは、問題意識を持つために有効な工夫の1つです。ぜひお勧めします。

すぐに理由や原因を質問したくなるが、初期段階では厳重に差し控えること

 何が起きたのかを質問するときにやってはいけないことがあります。それは、どのように起きたのかを問う前に「なんで起きたのか?」とすぐに理由・原因を質問することです。例えば、「ヘリコプターが墜落しました」と聞けば、具体的な状況がまだ全くわからない段階からなぜ落ちたのかを知りたくなるし、その理由・原因を勝手に推測したくなります。人によっては妄想に近い突飛な理由・原因を想像をすることもあります。すぐにでも原因を知りたくなる気持ちは分かりますが、「なぜ」という問いに対する答えは、たいていの場合、そんなに簡単には分かりません。原因は、複合的な要素が複雑に絡み合っていることが多いからです。具体的な状況の把握が終わり、様々な分析をした後でも真因が特定できないことはよくあります。それにもかかわらず、何も具体的な状況がわからない段階から「なぜ」という質問(問い)だけが先走ると、マイナスに働けどプラスになることは少ないと認識しています。私は、初期段階での安易な原因・理由探しは厳重に差し控えるべきだと考えています。

今回のまとめ

何が起きたのかを質問するときには、次の4点に注意すること
①より具体的に聞くこと(ありありとした実際の状況を聞くこと)
②全体感をもって事実を収集すること
③何が起きていないのか(同時に起きていても当然なのに起きていないこと)を探ること
④「なぜ」という質問は初期段階では厳重に差し控えること

ハットさん
ハットさん

次回は、「何が起きたか」の「背景」を探ることの大切さをお話しします。

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