今回は「論理の力」をつけたい人に野矢茂樹「論理トレーニング」をお勧めします
今回は、論理の力を身につけたいと真剣に願っているなら野矢茂樹氏の書いた次の2冊を強くお勧めしますよ、というそれだけの内容の記事です。
お伝えしたいことは以上であり、これだけの情報で満足した方は以下の文章を読まなくてOKです。ただし、これだけだと何の興味もわかないという方のためには、「論理トレーニング」「論理トレーニング101題」についてもう少しご紹介しておきます。
「論理トレーニング」と「論理トレーニング101題」(以下2冊まとめて「本書」という)はどんな本か?
著者の野矢氏の論理に対する考え方は一貫しており、それは次のようなものです。
◆「論理」とは、言葉が相互にもっている関連性にほかならないこと。
◆また「論理的になる」とは、この関連性に敏感になり、言葉を大きなまとまりで見通す力を身につけることにほかならないこと。
◆このため言葉に敏感になること。
◆そして言葉と言葉との関係、文と文との関係、パラグラフ(論点のひとまとまり)とパラグラフの論理的関係に敏感にならなければならないこと。
◆それらをつなぐ接続表現に自覚的になること。
上記のような考えに基づき、本書では「思考を表現する力」あるいは「表現された思考をきちんと読み解く力」、言い方を変えると、「言葉を自在に扱う力」を徹底的に訓練してくれます。具体的には、実際の本や新聞などの文章を例に挙げ、現実の中で「言葉に敏感になる」とはこういうことなのかということを丁寧にそしてユーモアたっぷりに教えてくれます。
野矢氏は論理学者なので、本書は数式などを用いた記号論理学の入門書的な本ではないのかと心配する人もいるかもしれません。私のような文系人間は記号論理学というと数学と同じくらいに苦手なものですが、本書に関してはその心配は不要です。教科書で言えば、国語(評論文)の教科書を読んでいるようなイメージに近く、数式や記号などを一切使わずに言葉で丁寧に説明されています。
どんな人に読んで欲しいか?
社会人になると、上司に報告したり、クライアント向けに営業のプレゼンをしたり、会議で議論をしたりと、とにかく書いたり発表したり議論する機会が増えます。そんなときに、「何を言いたいのか理解できないんだけど。もう少しロジカルに主張をしてくれないかなぁ…」のように上司などから注意されることもあるかもしれません。それではいけないと「論理の力」を学ぼうと思い立ち本屋を覗くと、論理的思考やロジカル・シンキングと銘打った本が所狭しと置いてあります。
例えば、すぐに目につくのが「ロジカル・シンキング」(照屋 華子、岡田 恵子)という本です。
この本は、帯の宣伝文句によれば「30万部を突破」のベストセラーのようです。だから、論理的思考力を身につけるための最初の一冊としては「ロジカル・シンキング」(照屋華子、岡田恵子)でも構わないし、それ以外でも自分にあった本なら何でもいいのですが、最終的に腹の底から論理を身につけたいならやはり一度は野矢茂樹氏の本書を読んで欲しいのです。
ところで、この点に関連して編集工学研究所所長の松岡正剛氏は自著の中で次のように書いています。
いまごろになって日本のビジネスマンに「ロジカル・シンキング」が流行しています。コンサル屋はたいていこれを採り入れている。日本で妙にはやりだしたのは、マッキンゼー出身の照屋華子と岡田恵子の二人が二〇〇一年に発表した『ロジカル・シンキング』(東洋経済新報社)あたりが火付け役だったでしょうか。 ロジカル・シンキングは論理学そのものではありません。「論理的な考え方をしてみること」です。日本きっての論理学者の野矢茂樹はロジカル・シンキングという用語は論理学的ではない、せいぜい企業や自治体が使いたがっている程度の用語だと言っています。実際にもコンサル屋のロジカル・シンキングはクリティカル・シンキングであることのほうが多く(以下略)
(出典)「千夜千冊エディション 編集力」松岡正剛
松岡氏の「ロジカル・シンキングは論理的な考え方をしてみることであり、論理学そのものではない。むしろクリティカル・シンキングであることのほうが多い」という言い回しからは、論理学そのものでないロジカル・シンキングはそれほど大したことないよねと否定的な示唆をしている印象も受けなくはありません。しかしながら、私は、「ロジカル・シンキング」はこれはこれでいいと考えています。ただ、もっと「言葉に敏感になる」「関係性に敏感になる」ことを心底理解したいのなら本書が最適だと申し上げているのです。決して「ロジカル・シンキング」を下目にみているわけではありません。
というわけで、野矢氏が強調するようなレベルで、言葉に敏感かつ厳格にならなくても別に構わないと思っているのなら野矢氏の本を読まずとも問題はありません。
ところで、野矢氏はこんなことも書いています。
論理は数学の証明に理想的に現われるわけではないし、また、評論や論説に特有のものというわけでもない。 言いたいことがきっちりあって、 それを自分と意見が違うかもしれない他者へと伝えようとするとき、たとえ柔らかで平易な文章であっても、そこに論理が姿を現わす。
(出典)「論理トレーニング101題」野矢茂樹
自分と異なる意見の相手と対話する。それこそ、論理が要求されるもっとも重要かつ典型的な場面である。独善的な精神に論理はない。論理的な力とは、多様な意見への感受性と柔軟な応答力の内にある。そして本書がめざすところもそこにある。論理トレーニングとは、けっして、四角四面でコチコチの厳格ではあるが融通のきかない頭を作ろうとするものではない。(以下略)
論理的な力とは、多様な意見への感受性と柔軟な応答力の内にあること、そして論理的になると言っても目指すべきは、四角四面でコチコチの厳格ではあるが融通のきかない頭で考えることではないこと、この2点は常に肝に銘じておきたい考え方です。
それでも、「言葉に敏感になる」「関係性に敏感になる」ことが習慣化した結果、自分では気がつかないうちに四角四面でコチコチの厳格ではあるが融通のきかない頭になってしまうかもしれません。そうなったときのために、野矢氏の次のアドバイスも紹介しておきます。
(中略)揚げ足をとりやがって、と思われるだろうか。確かにそういう面はある。そこで、私が授業で機会あるごとに学生に言っていることを、最後に述べておきたい。
(出典)「論理トレーニング101題」野矢茂樹
論理トレーニングの成果は、親、兄弟、友人、恋人、そしてとりわけ配偶者に対して無分別に発揮してはいけない。(1)初心者がうかつに論理的分析力を発揮して批判すると、(2)少なくとも現在の日本社会においては、人間関係を損ねるおそれがある。刃を研ぎ澄まし、懐中に忍ばせておく。そして、ここぞというときに抜くのである。どういうときが「ここぞ」なのか。 残念ながら、本書はそこまでめんどうを見ることはできない。 読者諸氏のご自愛を願ってやまない。
いずれにしても、野矢氏の本を誰に読んで欲しいかと言えば、腹の底から論理を身につけたいと思っている人です。
今回のまとめ
◆「論理の力」を身につけたい人に知っておいて欲しいことは下記のとおり。
①「論理」とは、言葉が相互にもっている関連性にほかならないこと。
②また「論理的になる」とは、この関連性に敏感になり、言葉を大きなまとまりで見通す力を身につけることにほかならないこと。
③このため言葉に敏感になること。
④そして言葉と言葉との関係、文と文との関係、パラグラフ(論点のひとまとまり)とパラグラフの論理的関係に敏感にならなければならないこと。
⑤それらをつなぐ接続表現に自覚的になること。
◆上記を真剣に身につけたい人には野矢茂樹氏の次の2冊でトレーニングすることを強くお勧めします。
①「新版 論理トレーニング」
おすすめ図書
「日本語を鍛えるための論理思考トレーニング」(横尾清志 (著), 石井隆之 (監修))
本書は、表紙に「言葉を使ってモノを考えるための基本トレーニング」「小論文やレポート、会議やプレゼン等で実力を発揮する日本語運用力」とあり、出版社の宣伝文句にも「これまでの教育で論理性という視点から国語を訓練するような場がほとんどありませんでした。この本の学習を通して「論証」といった概念を具体的にイメージすることができるようになります。また小論文やレポートの作成、討論や会議、プレゼンテーション等、日常の実践的な日本語力を鍛えることができます。[ことばを使ってものを考える」という知的作業の基本の力を身につけることが本書の最終目標です。」とあります。これらから推測できるように、記事本文で紹介した野矢茂樹氏の著書と似たようなコンセプト、すなわち言葉を厳密にとらえて考えようという思想で書かれています。
本書の特徴としては、レイアウトを工夫し、文章を少なくして図を多用しているところです。この点で野矢氏の本よりも見た目としては取っつきやすい印象を与えるかもしれません(ただし、人によっては逆に浅薄な印象を与える可能性もありますが…)。
いずれにしても、野矢茂樹氏の本にチャレンジしたものの最後まで読み通せなかったという人には、こちら本で試してみるのも一法です。
論理的になりたかったら言葉に敏感になること!