今回は「再現性を高めるため、コツは必ず言語化すること」という話しをします。
スポーツでも仕事でもうまくやるためにはちょっとしたコツがあります。だから、どんな分野でも上達しようと思えばそのコツを身についておく必要があります。そんなことはわざわざ言われなくても分かっていることなのですが、厄介なのは本人もそのコツに気がつかずに成功している場合があるということです。コツが体に染み込んでいて、いつでもどこでも無意識に発揮できる人ならばそれでもいいのですが、そうでないのであれば、つねにコツを意識すべきです。そうしないとその日の調子や偶然に左右されかねず、高いレベルでの安定したパフォーマンスを実現できないからです。
それゆえ今回の記事では、技の再現性を高めるため、コツは必ず言語化しましょうと提案したいのです。
今回の記事で伝えたいことを要約すると…
今回伝えたいことを先に要約すると次のようになります。
今回お伝えしたいことの大筋は以上です。以下では私が強調したい点に絞って補足説明をさせてください。
どんなことでもコツを覚えると楽になる
まずは当たり前の話しから始めさせてください。スポーツをするにしても、絵を描くにしても、料理をするにしても、仕事をするにしても、介護をするにしても、とにかくどんなことをするにしても、ちょっとしたコツを知っているだけでそれを知らないよりかは楽に早くうまくできるようになります。あまりにも当然のことなのですが、いざ何かを実行する段になるとあまり意識されずに素通りしてしまうことも多々あります。なぜなら、何をするにしても不慣れな作業をする場合にはまずは手順の方にばかりに気をとられてしまうし、手順を覚えた後は闇雲に練習することに集中してしまい、コツにまで思い至らないことも多いからです。だからこそ私は次のように提案したいのです。
◆何かをするときには常に「コツは何だろうか?」と自問し続けよう。
この点に関連して、私が社会人になりたての頃に読んだ本で、その後ずっと記憶に残っているフレーズがあります。ここで紹介させてください。
仕事にも、あらゆる技術と同じく、そのこつがあり、それをのみこめば、仕事はずっと楽になる。仕事をする気になることだけでなく、仕事が出来るということも、決して簡単なことではないが、多くの人はそれを知らない。
(出典)「幸福論(第一部)」ヒルティ
コツをつかむ
(出典)「問題解決の技法 判断力」E・ホーネット
有名な黒人歌手ロランド・ヘイズは、若い頃最初に働いたところが鋳物工場でした。(中略)貨物車に荷を積みこんでいた時のことです。うまくやろうと一生懸命になっていた彼(中略)を年老いた黒人が呼び止めました。
「これ、お若いの、こんなやり方じゃあだめだ。くたくたになってしまうぞ。こつを覚えにゃあ」(中略)
「覚えておきな、こつがあるのさ」
ロランド・ヘイズは、生涯この老人の言葉を忘れませんでした。(中略)心身が極度の緊張状態にある時、常に彼の言葉を思い出したのです。音楽にも人生にもこつがあることを学んだのです。(以下略)
「コツは何だろうか?」と自問したところでコツが見つかるかどうかは分かりませんし、コツが分かったとしても自分が出来るかどうかは別問題です。それでも、闇雲に力任せで試みるよりは成功の確率が上がります。最近ではありがたいことにSNSなどで分かりやすいコツを発信してくれている場合も多いので、以前のように盲目的な猛特訓の末に何とかコツを見つけ出すという苦労もしなくて済むようになりつつあります。いずれにしても常に「コツは何だろうか?」と意識し続けることが大事です。
身につけたコツは言語化すること
どんな分野でも熟練者になるとコツや工夫を身につけています。ただ、とかくありがちなのは長年の鍛錬で自然に身につけたものであるだけに、身につけた本人が自覚していないことも多いのです。もちろん達人の域になれば無意識でも常に出来るようになっているので問題ないのですが、熟練者ではあるけれどまだ達人のレベルにまでは至っていないという人の中には漠然と感覚に頼っている場合も多いと推測します。
漠然と感覚に頼っている場合、成功の確率、言い換えると高いパフォーマンスをいつでもどこでも再現できるかという再現性が安定しません。再現性を高めるためには身につけたコツを言語化することお勧めします。
この点に関しては、オリンピックのような最高峰の舞台を目指して日々精進しているスポーツ関係のコーチの考え方が参考になります。ここでは三つの記事を紹介させてください。
“なぜかトライにつながった”みたいな偶然性をできるだけ排除すること。
(出典)「4年でラグビー日本一に ヤマハ清宮監督が説く「言葉の魔術」(日刊ゲンダイDIGITAL 2015年5月5日)(注)ハットさんが一部太字にした。
選手たちが自分のプレーをしっかり語れるようにするんです。『あのスクラムはなぜ押せたんだ?』と聞くと、『ここがこうなったから押せたんです』とはっきり答えられる選手と『分かりません』という選手とでは再現性が違います。(中略)
ボクの指導は厳しくはないと思います。行動することを言葉に換えていくだけ。(中略)必要なものを言葉、つまりワード化していくんです。
いかにプレーを細かい要素に分解して、具体的な言葉として伝えられるか。サッカーにおける「技術の言語化」は、指導者にとって最もセンスを問われることのひとつだ。
(出典)「中西哲生が解説する「3つのシュート」。 日本人に足りないのは、巻くキック」木崎伸也(ナンバーWEB 2016年1月4日)(注)ハットさんが一部太字にした。
たとえばシュートの場面で、正確に蹴ろう、落ちついて蹴ろう、力まずに打とう、と伝えても、効果はほとんどないだろう。決定力不足を解消するには、シュートの技術を正しく因数分解する必要がある。
その作業に取り組んでいる指導者のひとりが、元プロサッカー選手、スポーツジャーナリストの中西哲生だ。(中略)
たとえば中西は、決定力不足という言葉を好きではないという。具体的な要素に分解できていないからだ。
(中略)
中西氏「(中略)直感に頼っているだけでは調子の波が大きくなってしまいますが、技術を言語化できれば感覚がズレている日があっても、自分で修正できるはずです」(以下略)
(中略)レスリングのコーチを担当してきた元世界女王の吉村祥子(中略)はレスリングでも選手に論理的な戦いを求める。「物事には再現性がなければいけない。感覚でやってきた選手にも、設計図ができるように理論付けて教えている」。(中略)
(出典)スポーツの流儀 レスリング 最強を継ぐ者(4) 「五輪女王生んだエリート教育 言語技術培い『設計図』緻密に」(日本経済新聞夕刊 2024/1/26)(注)ハットさんが一部太字にした。
時代は変化し、かつて当たり前だったスパルタ指導では選手はついてこない。論理的思考力は指導者に必要な要素でもある。(以下略)
身につけときには「からだで覚えた」としても、後で言語化しておくこと
前項の最後で紹介した吉村祥子氏の解説記事に「かつて当たり前だったスパルタ指導では選手はついてこない」とあります。そのとおりでしょう。しかし、かつて職人の世界では「からだで覚える」式の指導は当たり前のことでした。たとえば、次のような具合です。
職人というのは、体で仕事をおぼえるんです。だから私なんか、なぜそうなるのかって聞かれても、まるっきり話せませんよ。今のようにまず理屈があって、こうしてこうすれば、こうなるっていう筋道がない。失敗してゲンコツを食らって、痛い思いをしたぶんだけおぼえていくんですね。だからたいへんな修業ですよ。いまの若い人たちから見れば、不思議に思うでしょうけどね。でもね、体でおぼえるから理論じゃわからない、説明できない部分が先に身につくんです。それが呼吸というか、コツというか、職人の腕でよ。
(出典)「江戸の職人~伝統の技に生きる」中江克己
確かに、技が高度なレベルになればなるほど言葉で単純に教えられるものではなくなるし、繰り返し繰り返し試行錯誤のうえひたすら修練を続けて体で覚えるしかないというのも事実です。ブルース・リーの有名なセリフ「Don’t think! Feel.(考えるな!感じろ)」のとおりかもしれません。それでも、教育学者の齋藤孝氏の次の主張は心にとめておくべきと考えます。
言葉ですべてをあらかじめ説明されてしまえば、たしかに技を磨く緊張感は薄れる。だからといって、言葉による認識力自体を否定する必要はない。学ぶ側が言葉でつかんだ技を認識しなおすことは、技を盗むうえで、マイナスにならないどころか、決定的に有効な手法である。教える側が言葉ではなく技そのものを見せ、それを学ぶ側が盗み、言葉にするというプロセスが、教育の基本となるべきだ。(以下略)
(出典)「子どもに伝えたい〈三つの力〉」齋藤孝(注)ハットさんが一部太字にした。
齋藤氏が言うような教育的な意味合いだけではなく、言語化しておかないとその技術は門外不出として永遠に埋もれるか、一子相伝などで口伝で伝承するしかなくなり、いずれは途絶えてしまうことを危惧します。それはあまりにも残念なことです。
今回の記事で伝えたかったことは以上で終わりです。
今回のまとめ
◆技の再現性を高めるため、コツは必ず言語化すること
野球のバッターは打率3割を超えれば立派なものですが、仕事では100%の再現性を目指さないといけないのが辛いところです。