今回は「流れに身を任せる」という話しをします(全6回の3回目)
63回の記事から「怒りやイライラに対処して、いかにパフォーマンスを安定させるか」というテーマを取り上げています。今回はその3回目で「流れに身を任せる」というお話しをします。
前回までのおさらい
63回では次のような説明をしました。
◆人間誰でも日々感情に左右されて生きている。
◆だからと言って仕事のパフォーマンスまで感情に左右されることは避けたい。
◆とはいえ感情は基本的にコントロール不能だ。
◆でも自分の「考え方・言葉・態度・表情」ならコントロールできる。
◆そうならば、パフォーマンスを安定させるためには「考え方・言葉・態度・表情」をコントロールできるように訓練すればいい。
◆その方法論の全体像が次のとおり。
64回では「感情に蓋をする(思考停止)」方法について次のような説明をしました。
◆急な怒りが沸き起こってきた時の緊急避難的な方法として「感情に蓋をする(思考停止)」方法は役に立つ
今回の記事で取り上げるのは「流れに身を任せる」です
今回は「流れに身を任せる」について説明します。前回(64回)のテーマである「感情に蓋をする」は衝動的・瞬間的に湧き上がる怒りに対する対処法でした。それに対して、今回のテーマである「流れに身を任せる」は、長いこと尾を引くような深い悲しみ・失望・不安などに対して効果的な対処法です。
なお今回の記事は、具体的な方法論を説明するというよりは、参考になりそうな考え方や意識の持ち方をたくさん紹介しますので、これらをヒントにあとは各自状況に応じて考えてみてくださいね、という内容です。
「流れに身を任せる」ことと「ネガティブ・ケイパビリティ」
人生では誰でもどうしようもなく深い悲しみや失望に打ちのめされることがある
誰の人生でも、たとえどんなに心が強い人でも人であっても、どうしようもなく深い悲しみや失望に打ちのめされることは必ずあります。精神的に追い込まれ、再起不能になるほどダメージを負うことも特に珍しいことではありません。そんな時には仕事どころか生きることすら辛くなってきます。そんな状況をどうやってやり過ごせばいいのかというのが今回のテーマです。
「流れに身を任せる」しかないときもある
私の経験から言えることは、そんな状況をやり過ごすには、どんなに辛くても流れに身を任せ、時間が解決するのをじっと待つしかないと思っています。次のような感じです。
身体が疲れたとき、心が弱くなったときはしばらく自分で判断するのはやめなさい。時の流れに身を任せてみなさい。(中略)時の流れに任せて動かないことと、逃げることとは決して同じではない。
(出典)「あなたがやらずに誰がやる」江坂彰
多くの先人たちも同様のことを言っています。「流れに身を任せる」という意味合いで心を支えてくれる言葉をいくつか紹介させてください。
◆耐え忍ぶことを知らぬ愚か者たちよ。いかなる傷も、少しずつにせよ、癒えていかなかったためしがあろうか。(シェークスピア「オセロ 第二幕第三場」)
◆災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これはこれ、災難をのがるる妙法にて候(良寛)。
◆雨の日にできる最善のことは、雨を降らせておくことだ(詩人 ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー)
◆始まったことはいつか必ず終わる(佐々淳行)
「流れに身を任せる」という対処法については、以上を念頭に、あとは各自が状況に応じて試行錯誤してくださいと言って終わりにしてもいいのですが、もう少し考えるヒントがあった方がありがたいのではないかと考えました。
そこで、以下では「ネガティブ・ケイパビリティ」と「ラジカル・アクセプタンス(Radical Acceptance)」いう考え方もご紹介します。どちらの考え方も知ったからといって直ちに役に立つものでもありませんが、今後の参考になるはずです。
「ネガティブ・ケイパビリティ」と「ラジカル・アクセプタンス(Radical Acceptance)」いう考え方
「ネガティブ・ケイパビリティ」
まずご紹介したいのが「流れに身を任せる」と同じような発想の「ネガティブ・ケイパビリティ」です。作家の帚木蓬生氏は「ネガティブ・ケイパビリティ」について次のような説明をしています。
「不安や困難に押しつぶされないための生きる力、『ネガティブ・ケイパビリティ』という考え方を、みなさんにぜひ知ってほしい」
(出典)「白血病になって意識した『解決できない事態に耐える力』を身に付ける方法」作家・精神科医 帚木蓬生(婦人公論JP 2021年12月01日)
(中略)ネガティブ・ケイパビリティとは、「どうにも答えの出ない、対処できない事態に耐える力」という意味です。この概念は、もともとイギリスの詩人、ジョン・キーツが19世紀に言及していて、その後、イギリスの精神分析の権威、ウィルフレッド・R・ビオンが発展させました。解決できない事柄の理由を性急に求めず、《中ぶらりんの状態を持ちこたえる》という考え方です。
本来「ケイパビリティ(capability)」とは、才能や解決処理能力などポジティブなものを指す言葉ですが、この場合はまったく逆で、答えを出さないことに重きを置いています。
人間の脳はもともと「知りたい、わかりたい」という性質を持っているため、わけのわからないものに直面すると脳が苛立ち、とりあえず意味づけをして理解しようとするのです。その「わかりたい」という欲望を制御しながら、結論が出ないまま持ちこたえる力こそが、ネガティブ・ケイパビリティなのです。
身の回りで起こる問題に直面したとき、焦るのがいちばんよくないので、大きな流れに身を任せる、考えないで置いておく、というアプローチも必要なのです。そうするといつの間にか事態が改善しているということもあります。(以下略)
「ラジカル・アクセプタンス(Radical Acceptance)」
次にご紹介するのが「ラジカル・アクセプタンス(Radical Acceptance)」という心理学上の概念です。正直に申し上げると、上記に紹介した「ネガティブ・ケイパビリティ」と次に紹介する「ラジカル・アクセプタンス(Radical Acceptance)」とがどのように違うのかは私自身よく理解しておりません。ただ、両者は呼び方こそ異なれど根本的な考え方は共通しているとの印象を抱いております。
いずれにしても、ここで強調したかったのは両者の異同点ではありません。そうではなくて、「ラジカル・アクセプタンス(Radical Acceptance)」を説明している医師・内田舞氏の文章の内容に注目して欲しいのです。とても参考になる内容です。少し長くなりますが以下で紹介させてください。
(中略)羽生選手の精神的強さの背景にあるもの
どうして彼は、踊り切ることが可能だったのか-。
私は、「ラジカル・アクセプタンス(Radical Acceptance)」がキーポイントになっていたのではないかと思うのです。「ラジカル・アクセプタンス」とは心理学用語で、自分のコントロール下ではないことを良い/悪いの評価なしに「起きたこと」とアクセプト(受容)して前に進むことを意味します。日本語だと、「あきらめる力」「あるがままに生きる力」などと訳されたともしますが、そうとも言い切れません。ちょっと難しい思考なので、説明したいと思います。
「アクセプトすること」はあきらめることでも、許容することでも、忘れることでも、その事実に不随する感情を抑制することでもありません。ただ起きた出来事に関して、良い・悪いという評価を与えずに「起きたことは変えられない」という事実を認識し受容することです。
人間、自分のコントロールが効かない状況に陥った場合、どうしてその状況に陥ったかの原因や怒る相手を探したり、そんなはずはないと事実を否定しがちです。しかし、事実を否定し、過去の事実を変えたいと思う気持ちは精神的にとても消耗します。さらに、事実はすでに起こっていて「過去の事実を変えること」はできないので、過去を変えたいという望みが強いほど大きな抑うつと不安が伴います。その結果、自分自身をコントロールできなくなり、自分自身の感情に関しても混乱を起こすこともあります。(中略)
この「ラジカル・アクセプタンス」の思考を知っておくと、生き方が大きく変わる可能性があります。でも、慣れないとなかなか難しい思考でもあります。もう少し具体的に説明をしていきましょう。日常生活でも重要な「ラジカル・アクセプタンス」
(出典)「精神科医も称賛。羽生結弦選手の「自分の運命は自分で決める」という覚悟と生き様 失敗もハプニングも受け止め、引きずらない精神力」医師・内田舞 (2022年2/11(金) 現代ビジネス)(注)ハットさんが一部太字にした。(なお、内田舞氏は、米国小児精神科医、ハーバード大学医学部アシスタントプロフェッサー、マサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長)
先ほどもお伝えしましたが、事実を受容することは、あきらめることでも、許容することでも、忘れることでも、その事実に不随する感情を抑制することでもありません。
例えば、「誰かにいじめられたことを受容すると、受けたいじめを許すことになってしまうのではないか」と思う方がいます。でも、これは違います。「いじめられている」という事実をしっかり受容し、認識することで、いじめられている状況を変えるために何ができるのだろうか、と思考に転換していくことが大事なのです。その結果、カウンセリングを受けることができたり、不健康な恋愛関係から脱出するきっかけを作ることができるのです。
この「ラジカル・アクセプタンス」は、近しい人の死の悲しみにも活用されます。愛する人が亡くなった際、それを受容すると、大切な人がいなくなった現実が本物になってしまいそうで嫌だ、という声を聞くことがあります。確かに「死んだとは思えない」と思って過ごす時間が必要な方もいらっしゃいます。しかし、時間をかけて「亡くなった」という事実を受け入れることによって、今まで表に出せなかった悲しみを言葉にできて、そこから大切な人を亡くしたときにおきる様々な心の反応に対してどのようにケアしていくか考えていけるようになるのです。
また、良い・悪いという評価なしに事実を受け止めると、悲しい、嫌だ、嬉しいという感情を押し殺すことになってしまうのでは、と感じられる方もいます。でも、そうではありません。事実から逃避することに使っていたエネルギーを、事実を認識、受容することで、本来感じて当然の悲しみや怒りに向けることができるのです。悲しいときには悲しいと感じていいのです。
不運は誰にでも起こり得るものです。それについて悲しい感情が浮かぶのは当然です。その感情も無視せずに、自分のコントロール下ではないことを良い/悪いの評価なしに「起きたこと」と受容してみる。このプロセスを羽生選手は競技中という短い間の中でも行い、「自分のコントロール下であることはできる」と気持ちを切り替えていったと思うのです。ジャンプはできずとも、その先の流れの中で、彼はできることをやり遂げた。そういった意味からもあのショートプログラムは、「失敗」ではなく大きな「成功」といえるのです。(以下略)
内田氏が言う「自分のコントロール下ではないことを良い/悪いの評価なしに『起きたこと』と受容してみる」ことは、困難な状況を乗り越える際の一つの知恵だと感じます。もちろん現実には、例えば災害で家も財産も失ったり、深刻な病気のような状況で、良い/悪いの評価なしに起きたことを受け入れろと言われても、素直にそんな気持ちにはなれません。それでも、このようなことを意識するだけで、深い悲しみや不安を乗り越えるうえでの心の負担が軽くなるという主張には納得感があります。
なお、似たようなことを齋藤孝氏が著作の中で書いています。こちらも紹介しておきます。
中和とはどのような精神状態なのでしょう。
(出典)最強の人生指南書 佐藤一斎「言志四録」を読む(齋藤孝)(注)ハットさんが一部太字にした。
一つ例を挙げるとすると、「人間万事塞翁が馬」がそれにあたります。
これは「禍福は糾える縄のごとし」と同じ意味だと誤解している人が多いのですが、両者の意味は大きく違います。
禍福は糾える縄のごとしというのは、禍と福というそれぞれ色の決まった縄がより合わさって一本の縄のようになっているということです。いいこともあれば、悪いこともある。したがって、禍と福は別々のものとして存在していることになります。
一方、人間万事塞翁が馬というのは、ある出来事は状況や環境によっていいことにも悪いことにもなる、というスタンスです。つまり、物事の禍福が決まってないのです。
いいこともあれば悪いこともあるというのが「禍福は糾える縄のごとし」であるなら、いいことも悪いこともないというのが「人間万事塞翁が馬」の考え方であり、中庸、中和の見方なのです。
物事には必ず、どこかにバランスのとれるところがあります。それがどこかはわからなくても、どこかにあると思っていると、これは少し行きすぎだな、これでは少し足りないな、ということを感じるようになるので、中庸感覚が磨かれ、次第に極端な思考をしなくなります。
「流れに身を任せる」際の参考になるように「ネガティブ・ケイパビリティ」と「ラジカル・アクセプタンス(Radical Acceptance)」いう考え方を紹介しました。
今回の記事は以上で終わりです。「流れに身を任せる」というテーマで色々な意見を紹介しただけで、実践的な方法論の提示は一切ありません。しかしながら、今後の人生で深い悲しみ・失望・不安などに遭遇し途方に暮れるような状況の時、今回紹介した文章が何か立ち直りのきっかけになれば幸いです。
次回の予告
感情に悩まされているときに心の安定を取り戻すため深呼吸をすることは大変効果のある方法です。次回(66回)は私が実践している呼吸法をご紹介します。
今回のまとめ
◆誰でもどうしようもなく深い悲しみや失望に打ちのめされることが必ずある。
◆そんなときの一つの対象法が「流れに身を任せること」
◆「流れに身を任せる」うえでネガティブ・ケイパビリティという考え方は参考になる。
おすすめ図書
①「逆境を越える『こころの技法』」(田坂広志)
②「すべては導かれている 逆境を越え、人生を拓く 五つの覚悟」(田坂広志)
人生で逆境に直面したとき、記事本文にも書いたとおり、流れに身を任せてじっと時の経過を待つのは一つの方法です。ただ、流れに身を任せつつもワラにもすがりたい思いはあるでしょう。とにかく逆境を乗り越える何かヒントが欲しいものです。そんな時にお勧めするのが上記2冊です。
上記2冊の根底に流れる主張は、すごく突き詰めると次の4点です。
◆どんな不運な出来事にも深い意味がある
◆その出来事に対し無条件で感謝の気持ちをもって正対したとき、初めて意味が見えてくる
◆そうすると人生で起きることすべてが有り難い出来事という感慨が生まれる
◆そうして逆境を乗り越えることができるのだ
これを、表現を変えあの手この手で繰り返し、読者を元気づけてくれます。基本は、不運な出来事に遭遇しても、仮に重い病気になっても、まずは無条件に感謝し受け入れるところから始めようねという主張であり、記事本文で紹介した「ラジカル・アクセプタンス(Radical Acceptance)」の考え方にも通じるものがあります。ただ、どうしようもないほど悲惨な状況においても、まずは無条件に感謝して「ありがとう」と唱えようと提案されても、感情的にはそうそう簡単に受け入れられないのも事実でしょう。その点は著者の田坂氏も承知しており、だからこそ様々な言い方でしつこく繰り返します。読者の置かれている状況や考え方によっては、一読したからといってすぐに受け入れられないかもしれませんが、少なくとも逆境を乗り越えるヒントは頂けます。ワラにもすがりたいという方は試しにお読みください。
苦しい時に流れに身を任せておくのは実際には辛いですけどね。