今回は「『励まし』と『慰め』の使いどころを誤るな」という話しをします。
前回の第90回目記事(一流のプロを目指すうえで参考になる4つの属性(サーバントリーダーの10個の属性のうちの4つ))の中でサーバントリーダーシップという考え方に少し触れたのですが、それに関連してどうしても補足しておきたいことがあり今回の記事を書きました。
サーバントリーダーが有している10個の属性のうち「傾聴(Listening)」「共感(Empathy)」「癒し(Healing)」という3つの属性があるのですが、この点に関して「『励まし』と『慰め』の使いどころを誤るな」ということを強調しておきたいのです。
今回の記事で伝えたいことを先に要約すると…
今回の記事で強調したいのは「『励まし』と『慰め』の使いどころを誤るな」ということであり、要約すると次のとおりです。
「傾聴」・「共感」・「癒し」はここ数年カウンセリングやコーチングなどでもその重要性が叫ばれており意識している人も多いと感じます。しかし、何か思い違いをしていると思われる人もいるのであえてここで強調させてもらいました。
とにかく気をつけて欲しいのは「頑張れ」という「励まし」と、「傾聴」・「共感」は大きく異なるということです。本ブログは学生さんや新社会人の方などの若い人を想定していますが、今後の活躍に際してはぜひこの点を意識して欲しいと願っています。今回の記事で言いたかったことは以上です。
以下ではご参考として、絶望感のどん底にいる人に対して「頑張れ」と言うことがいかに無力なのかを切実に記した文章をご紹介させてください。なお、時間がない人はここまで読むのを止めても問題ありません。
絶望感のどん底にいる人の気持ち
人がどうしようもないほど深い絶望感・疎外感・やりきれなさを抱える理由は実に様々です。深刻な病気の場合もあれば災害で深刻な被害を受けた場合もありますし、取り返しのつかない失敗をした場合もあります。ここでは、癌に罹患した患者さんの率直な気持ちが吐露された文章を紹介させてください。
(中略)ぼくはどこにでもいる一児の父だ。仕事は写真家をしている。たまにこうやって文章を書いたりもする。趣味は料理と手品と皿まわしだ。それからがん患者でもある。34歳のときに多発性骨髄腫という血液がんに罹患(りかん)した。当時息子はまだ1歳だった。現在も治療はしているものの、残念ながらぼくの病気は治らない。(中略)
(出典)「がん患者に「頑張れ」はNG 傾聴だけで救われる」写真家 幡野広志さん①(日経新聞Web刊 2023/3/12)
これからがんという病気になったらどうなるかをつらつら書いていくけど、そもそも病人の話を聞くのはおなじ病気の人や、その家族の人になりがちだ。病気の話は関心がなければつまらない話だからだ。だけど病気になったらどうなるかを一番知った方がいいのは、病気と関係のない健康な人だ。
大きな地震がきたら落下物から身を守り、海から離れることを知っているように、病気のことも知っておいてほしい。いま健康な人も自分や家族や友人が、いつかがんになる可能性が高いわけだから備えてほしい。がんという病気は個人に起きる大災害のようなものだ。人生がガラリと大きく変化する。
まず知っておいてほしいことだけど、自分の周囲にがん患者がいても「頑張れ」という声掛けはやめたほうがいい。なぜならがん患者はすでに限界近くまで頑張っているからだ。がん患者だけに。うつ病の人に「頑張れ」という声掛けがNGなのと一緒だ。がんになったばかりのときは心の状態がうつ病とよく似ている。
「頑張れ」という言葉をかけられると本当にきつい。(中略)
「神様は乗り越えられない試練は与えない」なんて言葉もやめたほうがいい。(中略)
こういった根拠のない安易な励ましの類は一切やめたほうがいい。ナイチンゲールも1859年に出版した本で「安易な励ましはやめとけ」と書いている。病気の話は関心がなければ160年たっても広がらないのだ。
じゃあどんな言葉をかければいいんだ?って思うかもしれないけど、そもそも言葉をかけるのではなくて、言葉を聞けばいいのだ。みんな言葉をかけて励ましたがるけど話を聞いてはくれない。がんになったときは絶望感と孤独感でいっぱいだ。神様なんて引き合いに出さなくても、話を聞いてくれるだけで救われるのだ。
もう一つだけ紹介したい文章があります。作家・五木寛之氏の有名な「大河の一滴」という作品からの紹介になります。
人間の傷を癒す言葉には二つあります。ひとつは〈励まし〉であり、ひとつは〈慰め〉です。
(出典)「大河の一滴」五木寛之
人間はまだ立ち上がれる余力と気力があるときに励まされるとふたたびつよく立ちあがることができる。
ところが、もう立ちあがれない、自分はもうダメだと覚悟してしまった人間には、励ましの言葉など上滑りしていくだけです。〈がんばれ〉という言葉は戦中・戦後の言葉です。私たちはこの五十年間、ずっと「がんばれ、がんばれ」と言われつづけてきた。
しかし、がんばれと言われれば言われるほどつらくなる状況もある。
そのときに大事な事はなにか。それは〈励まし〉ではなく、〈慰め〉であり、もっといえば、慈悲の〈悲〉という言葉です。(中略)
なにも言わずに無言で涙をポロポロと流して、呻き声をあげる。なんの役に立つのかと思われそうですが、これが大きな役割を果たすような場合があるのです。
孤立した悲しみや苦痛を激励で癒すことはできない。そういうときにどうするか。そばに行って無言でいるだけでもいいのではないか。その人の手に手を重ねて涙をこぼす。それだけでもいい。深いため息をつくこともそうだ。熱伝導の法則ではないけれど、手の温もりとともに閉ざされた悲哀や痛みが他人に伝わって拡散していくこともある。
仮にオウム事件のようなことがあって、息子が刑に服することになったとしましょう。
慈愛に満ちた父親であれば、「がんばれ!自分の罪を償って再起して社会に帰ってこい。私たちはいつまでも待ってるぞ。一緒に手を携えて新しい未来に向かって歩いていこうじゃないか」と励ますかもしれない。
では、古風な母親であったらどうか。「なぜこんなことになったの?これからどうするの?」などと、問いつめるようなことはいっさい言わないだろう。ただ黙ってそばで涙を流して息子の顔を見つめているだけかもしれない。おまえがもしも地獄に堕ちていくんだったら自分も一緒についていくよ、という気持ちで手に手を重ねてうなだれているかもしれない。
じつはこうしたことが人間の心の奥底にいちばん届くのです 。がんばれと言っても効かないギリギリの立場の人間は、それでしか救われない。それを〈悲〉といいます。
誰でもいつなんどき立ち上がれないほどのダメージを負うことになるかは分かりません。そうならないで人生を全うできれば一番ですが、仮にそうなれば誰でも「慰め」のありがたさを実感するでしょうし、逆に「励まし」の無力さも痛感するでしょう。しかし、自分がその立場になって実感する前に、絶望感に打ちひしがれている人の気持ちを慮って「励まし」ではなく「慰め」を届けられる人になりたいものです。
今回のまとめ
◆サーバントリーダーが身につけておくべき「傾聴(Listening)」「共感(Empathy)」「癒し(Healing)」という3つの属性は大事だが、注意すべきことがある。
◆それは「励まし」と「慰め」の使いどころを間違えるなということ。
◆もうこれ以上頑張れないほどダメージを負っている人に安易に「頑張れ」と言ってはいけない。
私は自分が深刻な事態に直面しているときに、第三者から無邪気に「神様は乗り越えられない試練は与えない」と励まされるのも本当に嫌でした。乗り越えないまま終わりを迎えるかもしれないときにそんなことを言われてもなぁという感じです。