今回は名著で名高いアランの「幸福論」を紹介します
今回はフランスの哲学者アランの名著として有名な「幸福論」を紹介します。
アラン「幸福論」は第68回目の記事(怒りやイライラに対処していかにパフォーマンスを上げるか -フレーズを読む-)でもお勧め図書として紹介しました。本書のメッセージはシンプルです。「ネガティブな感情・気分(➡アランをこれを「情念」と呼んでいる)に左右されて不幸(不機嫌)になるなんてバカバカしいよね」ということです。これだけの内容をあの手この手で表現を変えて書かれています。
アラン「幸福論」はどんな本か?
アランは、ネガティブな感情・気分に左右されて不幸(不機嫌)にならないためにどうすればいいのかを一種のエッセー(正確には「プロポ(語録)」という)という形式で新聞に連載しました。この連載93回分をまとめたのが本書です。したがって、書名は「幸福論」となっていますが「論」というような大袈裟な内容ではありません。1章が文庫本で3ページくらいの短いものであり、また、どの章から読み始めても問題ないため、とても気安く読める本です。
アラン「幸福論」の特筆すべき点
アランが一貫して書いているのは、人は必ずと言っていいほどネガティブな感情・気分に左右されてしまう、そうならないためには自分で自分を律することが大事だし、もしそれができないならむしろ何も考えずにとにかく行動するか、または身体をリラックスさせればいいよ、ということです。乱暴な言い方をすればこれだけのことです。
本書が特筆すべきは、感情・気分なんて簡単にコントロールできないし出来事にいちいち一喜一憂すべきではない、むしろ行動や動作の方を制御すればそれに付随して感情・気分も良くなる、そして結果的に幸福になる、と説いているところです。つまり最初から感情・気分を直接的にコントロールしようという発想はありません。この点は私にとっては新鮮でした。多くの書物では、とかく心(精神)が大事ということを強調しているものの、その方法論はとなると具体的に書かれていません。そのため、心(精神)の安定に必須となる感情のコントロールをどうするのかは各自が試行錯誤して追い求めることになりますが、結局のところ開眼せずに終わってしまいがちです。例えば、宮本武蔵「五輪書」や沢庵「不動智神妙録」などを読んでも今一つ腑に落ちずに終わります。しかしながら本書は違います。気分がどうあれ、プラスの行動や動作を強制的にして習慣化すればいいのだ、というのがアランの主張です。例えば次のような主張です。
◆「顔色がわるいですよ」などとうかつに人に言ってはいけない。
(出典)「幸福論」(アラン、村井章子訳)日経BP社
◆笑顔のまねをするだけでも、人々の悲しみや憂鬱は薄らいでいく。
◆手足に力を入れず、すべての筋肉をゆるめてやることが必要である。そのためには、身体の中からマッサージのように揺すぶり解きほぐしてやるといい。(中略)「死んだ猫のまねをしてごらん」と。
◆あたたかい言葉を口にすること、ありがとうと言うことである。感じの悪い人にも親切にしたらいい。
◆ためらわずにっこり笑って感じよくふるまえる機会は、いくらでもある。人ごみでぐいと押されたぐらい、笑って済ませたらよい。
◆「いらいらするのはやめましょう。人生のこの大切なひとときを台無しにしないようにしましょう」
◆幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ。
アランは「人ごみでぐいと押されたぐらい、笑って済ませたらよい」と言いますが、実際に朝の殺気だった通勤電車の中でこれができるかどうかは意志力が問われます。それでも、一つの方策としてアランの言わんとしていることは理解できますし、一つの理想としてこういう状態を目指せば幸福になれるということも理解はできます。
アラン「幸福論」はどんなときに読むと心に響くか?
アランのアドバイスはその気になれば実行可能なものばかりですが注意も必要です。というのも、アランのアドバイスはすごく深刻な状況を想定しているわけではないので、日常のありきたりな場面では有効でも、本当に危機的な状況では無力だからです。この点については、アラン自身も次のように書いています。
私が言いたいのは、(気分の良し悪し以外に)さしたる原因もなく不幸になっている人たち、自分の思い込みから不幸になっている人たちのことですが。(中略)私は本物の不幸のことは書いていません。
(出典)「幸福論」(アラン、村井章子訳)日経BP社
そういう意味において、本書は、ごくありきたりな日常生活の中で、これといった理由もなく気持ちが荒んでいるときや落ち込んでいるときなどに読むと心に響くのですが、重い病気に直面しているときや有事などの深刻な場面においては、心に響かないどころか、反感させ抱くことがあります。この点は注意が必要です(ただし、これは私の個人的な意見です)。
なお、有事における危機的な状況下で何とか乗り越えたいと藻掻いているときには、「自省録」や「道は開ける」をお勧めします(「自省録」は第36回目の記事で、「道は開ける」は第45回目の記事で紹介しました)。
読み方に関するアドバイス
アラン「幸福論」を読むうえであらかじめ了解しておいて欲しいことがあります。それはアランの書いている文章が意味不明というか、何を言いたいのかよく理解できない文章がかなり頻繁に出てくるということです。イメージしてもらうために実例を紹介します。本書の1番目に登場する「名馬ブケファルス」の出だしを紹介するとこんな感じです。
幼な子が泣いてどうにも泣きやまない時、乳母はしばしば、その子の幼い性格について、好き嫌いについてまことにうまい想定をあれこれとするものだ。これは親から受け継いだものだから、と言って、すでにその子のなかに父親の姿をみとめるのだ。こうした心理学的索が続いて最後にようやく乳母は、すべてのことが生まれたほんとうの原因、つまりピンを見つけるのである。
(出典)「幸福論」(アラン、神谷幹夫訳)岩波文庫
読み始めて最初の3つ文が上記ですが、3つ目の文章にあるような「ほんとうの原因、つまりピンを見つけるのである」と言われても唐突過ぎて「ピン」が何を指しているのか意味不明です。おそらくアランの書いたフランス語の文を日本語に正確に訳すと上記のとおりなのでしょう。しかし、こういう意味不明な文章がけっこう頻繁に出てくるので、人によっては読むのが苦痛になり途中で読むのを断念してしまう可能性があります。ちなみに、アラン「幸福論」は複数の出版社から訳者が異なるバージョンが多数出版されています。訳者によって文章の分かりにくさは若干変わってきますので、自分が分かりやすいと感じるバージョンを選ぶのも一法です。例えば、上記と同じ個所でも訳者が違うと日本語も下記のように異なります。
幼い子どもが泣きわめいていくらなだめてもいっこうらちがあかないとき、乳母はよく、 その子の性質や好き嫌いについてまことに気のきいた推測をするものだ。遺伝まで引っぱり出して、もう父親そっくりだなどという。そんな心理学的な試みをつづけているうちに、ついに乳母はピンを発見したりする。ピンがすべてのほんとうの原因だったのだ。
(出典)「幸福論」(アラン、白井健三郎訳)集英社文庫
赤ん坊が泣いてどうにも手がつけられないと、乳母はその子の性質や好き嫌いについて、いろいろとうまいことを思いつく。ついには遺伝まで持ち出して、この子はいまからお父さんそっくりだ、などと言う。こんな具合にあれこれ推理力を働かせているうちに、おむつに刺さったピンを見つける ー 何のことはない、原因はピンだったのである。
(出典)「幸福論」(アラン、村井章子訳)日経BP社
上記を読み比べて、読みやすさはどれもそれほど変わらないと感じた人はどのバージョンで読んでも問題ありません。私のお勧めは最後に紹介した日経BP社の村井章子訳バージョンです。
ただし、比較的分かりやすい村井章子訳バージョンですら意味不明な文や脈絡不明な文が出てきます。そこで、もう一つ読み方のアドバイスとして申し上げたいことがあります。それは、本書を読むときは気に入ったフレーズまたは単語だけを拾っていくという読み方をすることです。1つの章や複数の文章の流れ(文脈)の中で意味合いを読み取ろうとすると、アランの言っていることが唐突で意味不明だったり支離滅裂に感じることもあるのですが、そうではなくて、印象に残るキーワードやキーフレーズが見つかればそれでよしという読み方をすると、本書はがぜん読みやすくなるし有益に感じるようになります。例えば、「幸福になろうという強い意志」というフレーズが出てきたら、このフレーズだけに注目してアンダーラインを引くというような読み方をすればいいのです。
なお参考として、このような読み方をして私が気に入ったフレーズを後ほどいくつかご紹介しておきます。
アラン「幸福論」から私がお気に入りのフレーズをご紹介
以下ではアラン「幸福論」から私が気に入ったフレーズのほんの一部を紹介します。出典はすべて日経BP社の村井章子訳バージョンです。なお、分かりやすいように次の9つの観点に分類してご紹介します。
①幸福になるかどうかは自分次第
②幸福になるためには意志と自制が大事
③気分任せにすると必ず悲観的になる
④まずは行動しろ
⑤身体を動かせば気分が変わる
⑥不平・不満・愚痴はやめよう
⑦上機嫌(笑顔)でいよう
⑧絶体絶命の危機に直面したときに勇気をもらえる言葉
⑨その他心に響いた言葉
幸福になるかどうかは自分次第
◆失敗すると思えば失敗し、無力だと思えば何もできず、望みは叶わないと思えば叶わない。このことを肝に銘じなければいけない。
(出典)「幸福論」(アラン、村井章子訳)日経BP社
◆どんな水瓶にも取手が二つあるようにものごとには二つの面がある、と賢者が語ったとおり、同じことでももうだめだと思えばだめになるし、大丈夫、元気を出そうと思えば大丈夫なものだ。しあわせになろうとする努力はけっして無駄にはならない。
◆エピクテトスは「カラスのお告げも、気持ち次第で幸運の前兆になる」と言った。エピクテトスが言わんとしたのは、何事も喜びとせよ、ということだけでなく、よい希望は運命を変え本物の喜びをもたらす、ということである。
◆喜びのみなもとは自分の中にある、それはまちがいない。
◆「あなたの運命を決めるのはあなただ」と言ってあげるだけでも、十フランの価値はある。
◆望みの幸福はいくらでも作り出せる。
◆ともかくも、悲しんではいけない。希望を持たなければいけない。
◆誰にとっても、この世で最大の敵は自分自身である。
幸福になるためには意志と自制が大事
◆人間に何か可能性が秘められているとしたら、それは自らの意志の中にしかない。
(出典)「幸福論」(アラン、村井章子訳)日経BP社
◆幸福でいることには、一般に考えられている以上に意志の力が働いている。
◆希望は意志によってのみ支えられる。
◆たしかに意志がモノを言う。どれもすぐにできることだから、やろうと思いさえすればよい。
◆幸福は意志と自制の賜物と言える。
◆ほんとうの感情は、意志によって作られるのである。
気分任せにすると必ず悲観的になる
◆気分任せにしていたら、最後は必ず悲しみか怒りに変わる。それが悲観主義の本質である。
(出典)「幸福論」(アラン、村井章子訳)日経BP社
◆気分任せにしていると、人間はだんだんに暗くなり、ついには苛立ち、怒り出す。
◆不機嫌に身を任せたら、たちまち不幸になり、いやな人間になる。
◆揺るぎない楽観主義を大原則として守っていないと、たちどころに暗い悲観主義が幅を利かす。人間は、そういうふうにできているのである。
◆楽観的でいるためには誓いを立てなければならない。(中略)ともかくも幸福になることを誓わなければいけない。(中略)念には念を入れて、悲観的な考えは必ず自分を陥れる、と認識しておこう。これを忘れてはいけない。何もせずにいたらたちまち不幸になる(以下略)。
まずは行動しろ
◆情念から私たちを解放してくれるのは、思考ではなく行動なのである。
(出典)「幸福論」(アラン、村井章子訳)日経BP社
◆悩みごとがあるときは、理屈で考えようとしてはいけない。
◆まず一歩を踏み出すことだ。
◆どんな小さなことも、やってみれば、次から次へと続きが起きる。
◆何でもいい。いったんやり始めたら、つまらない仕事など一つもない
身体を動かせば気分が変わる
◆不機嫌に立ち向かうとき、知性は無力であり、ほとんど役に立たない。私たちの身体のうち自分自身で制御できるのは運動を伝える筋肉だけなのだから、すぐに姿勢を変え、適切に身体を動かすことだ。たとえば、ほほえむ。肩をすくめる。こうした動作は、心配事を軽くする効果があると言われている。
(出典)「幸福論」(アラン、村井章子訳)日経BP社
◆つまり手足に力を入れず、すべての筋肉をゆるめてやることが必要である。
◆必要なのは体操選手のように身体を動かし、意志の力で感情を変えることである。
不平・不満・愚痴はやめよう
◆不機嫌な動作は、たとえかすかなものであっても、端々まで被害妄想が詰まっている。
(出典)「幸福論」(アラン、村井章子訳)日経BP社
◆不満は怒りを助長し、怒りは不満を助長する。これは地獄の堂々巡りだ。
◆だが不満を言ったところで、悪いことが減るわけではない。
◆大事なことは、こうだ―ちっぽけな悩みや苦しみというものは、それを口にしないでいればずっと忘れていられる。
上機嫌(笑顔)でいよう
◆不運に出くわしたら上機嫌にふるまうことさ。
(出典)「幸福論」(アラン、村井章子訳)日経BP社
◆おや、雨が降ってきた。通りにいたあなたは傘を広げる。それだけでいいのだ。「なんてこった、またいやな雨だ」と言ったところで何の役に立とう。何を言っても、雨も雲も風も変わりはしない。それなら、「ああ、結構なおしめりだ」となぜ言わないのか。
◆不機嫌に対しては、笑うことが効果的である。
◆不機嫌同士が出会ったときには、まず一方がほほ笑むことだ。自分からは絶対にほほ笑まないという人は、ただの馬鹿者である。
◆ためらわずにっこり笑って感じよくふるまえる機会は、いくらでもある。人ごみでぐいと押されたぐらい、笑って済ませたらよい。
絶体絶命の危機に直面したときに勇気をもらえる言葉
◆実際に自分の身に苦難が降りかかったときには、できることは一つしかない。(中略)生命を抱きしめること。(中略)意志と命をかけて不幸に立ち向かうこと。
(出典)「幸福論」(アラン、村井章子訳)日経BP社
◆乗り越えられない災難や打ち克てない不幸は必ずあるのだ。だが全力で戦ってからでなければ、けっして負けたと言ってはいけない。
◆とにもかくにもやるべきなのは、身投げをするように不幸に飛び込むことではなく、全力で自分を慰めることである。
◆本物の不幸というものがやはり存在することは、認めざるを得ない。それはそれとして、人々がある種の想像力を駆使して不幸を一段と膨らませていることも、またたしかである。(以下略)
その他心に響いた言葉
◆病気を演じるのではなく、健康のふりをしなければならない。
(出典)「幸福論」(アラン、村井章子訳)日経BP社
◆悲劇を演じてはいけない。知恵を働かせ、目の前の現実に集中しなければいけない。
◆どんな凡庸な人間も、自分の不幸を演じるとなれば大芸術家になる。
◆どうしたらいいかわからない問題などたくさんあるのだから、さっさと諦めたらよい。
アラン「幸福論」を読んでみたくなるように具体的なフレーズを紹介してみました。今回紹介しなかった中にも名言がたくさんあります。原書を読めば自分だけのお気に入りフレーズが必ず見つかるはずです。
今回のまとめ
◆気分に左右されずに呑気に過ごすためにアラン「幸福論」を読んで欲しい。
◆イライラしているときにアランの優しい言葉がホッとします。
アランは「幸福論」の中で、占いを決して信じないように力説しています。この章を読んでから私も「おみくじ」などの運勢占いについては、いっさい気にしないようにしています。